短歌の納会。
年齢性別職業などあらゆる縛りから放たれて繋がるとき、誠実でさえあればいいということに気づく。
お互いをリスペクトしているので、今年も一年頑張りましたねと、自然にねぎらいあう納会だ。
 
詩歌に於いて、どちらかというと内に内に入り込んでいく孤独な性質を持つとおもっていたけれど、これが案外そうではない。たとえば強固な師弟関係があったり、共に活動するコミュニティがあったり、コミニュケーションがうまく取れないと置いてきぼりを喰らう世界である。
わたしの仕事は、それぞれの分野のプロフェッショナルが集まり、チームで成果をあげる種類のものが殆どなのに、それゆえに神経をすり減らすことを知りすぎているせいか、プライベートでは積極的な孤独を選びがちだ。つまり、つるんだり手を繋いだりするのが非常に苦手。
詩歌は、ただ詠むだけでは単なる落書きに過ぎない。たくさんの人に手に取っていただいてはじめて作品と呼べるのだとしたら、わたしは終生落書きをして終わるのだろうか。
だとしたらそれは、ほんものの孤独でしかない。
弟子を名乗るのを許してくれるひともおらず、同人誌を作ったりユニットで作品を発表したりなどないわたしは、この先どうしたらいいのだろう。
 
詩歌に光を。
これが来年の目標だ。
どうかわたしの作品が光あるところへ導かれていきますようにと、酔うほどにおもうのだった。
 
星に願いを。

 
このあと、べつの会合の二次会へ急ぐ。
これまでの人生で、酒を水のように飲んできた友人にひさしぶりに会うと、なんと酒をやめたという。
肝臓の数値が芳しくなく、春過ぎにきっぱり断酒したらしい。
作家の町田康氏に断酒顛末を綴ったエッセイがあると話すと、町田康がどういうひとか知らないけれど気が合うとおもうと友人は言って、ノンアルコールビールを豪快に煽った。
詩歌文学を嗜まない人生はどこか清々しい。
わたしはここでも黒ラベルを飲む。
星の力を借りて煌めくために。
詩歌を嗜む人生として。
 
冬の星薄暗といふ明かりかな   漕戸 もり