夏以来、脳みそが筋肉の少年が居候しているので、ときどき家の中に見慣れないものがあって面食らう。
チャンピオンベルトのようなトレーニング器具や、10㌔単位で届くプロテインなどのお粉類にやっと見慣れたある日、いよいよ意味不明なものを見つけた。
数多のチョコレートウエハース。
ポケモンやアンパンマンならまだしも、いかついお兄さんたち。

 
新種のスイーツ男子?
 
どうやら脳筋肉少年のお目当ては、RIZINの勇者たちのカードらしい。
開けるまで誰のカードが入っているかわからないし、大体菓子はいらないのだからヤフオクなどでカードだけ買えばいいのではないか、と問うと、開ける瞬間がいいんだ、とのたまう。
その理屈は正しいのだろうか?いや少なくとも経済的ではないでしょう。
がしかし、同じような脳筋肉を持つ者は少なくないと見え、今やなかなか手に入らない幻のウエハース、いやRIZINカードだという。
数多くのコンビニやスーパーを、ついでがあるたびに覗いてやっと手に入れたらしい脳筋肉少年は、嬉々として封を開け やった!だの これいらん! だの 素っ裸のウエハースを傍らにご満悦の様子。
おいおい、BANDAIさん。
脳筋肉少年を惑わすのはやめてほしい。
わたくしたちも商売ですから、とおっしゃるのなら、菓子の工夫をお願いしたい。
予算が無理なら少量でいい。RIZINにちなんでプロテイン系のグミやチョコなどはどうだろう。そうすれば一切無駄なく、脳筋肉少年の血肉や娯楽になるではないか。
 
目の前のウエハースの山。
わたしの腹に入れる他ない。
誰だ?脳筋肉少年ともったいない星人の組み合わせは最高、などと笑っているのは。
断じて笑いごとではないのだ。
 
さて。
茶番のお口直しに
第六十七集中部日本歌集を読みましょう。
 
 
コンセントのようなつもりで待ってるよ近頃帰らぬ娘らのことを
          小塩卓哉  第六十七集中部日本歌集より
 
わたしは妻でもあるが娘でもあるので(そのうえ愚妻愚娘である)、やはり娘として読んでしまうのだが、そうするとどうしても「お父さん寂しがらせてごめんね、明日帰るね」と素直に反省するよりも「お父さんやばい、怖い怖い怖い」などと言って母と父の悪口で盛り上がることを想像してしまった。
コンセントはどこにでも存在するだけでなく、そこに張りついているという在方であることが、この歌に父から娘への強固なまでの愛情を示す効果を与えている。ぱっと見コンセントなど無さそうなスペースにも、カーテンを捲ればひょっこり顔を出したり、模様替えで移動した書棚の裏に冷えていたり、ファストカフェなどには過剰なまでに、ひとりひとつずつコンセントがあるところもある。こんなふうにどこにもかしこにもあって、わたしたちは逃げたくても逃れようがない。確かにあれば便利だし、ないと困ることもあるけれど、彼らに気持ちがあって「待ってる」などと思われたらやはり 怖い怖い怖い、となる存在だ。
とはいうものの、実は娘(愚娘を含む)は、父親というものは哀しくて不器用で気持ちをこんなふうにしか吐露できないということも、ちゃんと知っている。
だから、たとえ母と父の悪口を言い合っても、そこに憎しみなどは一切ない。むしろその生真面目さを愛おしいとさえおもうので、この歌の読後感は悪くはない。
コンセントは、待つのではなく求められるものだ。
求められてやっとコンセントは存在価値が高められる。
けれど、コンセントだって言いたいことはたくさんあるのだ。
いろいろ考えさせられて印象に残った歌でした。
 

コンセントみたいな父に似たひとをすきになるたび帰れなくなる

              漕戸 もり

 

 

時代は繋がりを推奨するけれど、

繋ぐ、繋がる、繋がってしまうということに疑心暗鬼でいます。