靴は買うのも眺めるのもいい。
眺めるというと控えめな表現かもしれない。
すこし下品なかんじがするけれど、たとえばはじめてお会いするお相手の場合、その方の足もとを悟られないようにちらっと覗きみる。
そのようにして覗くと靴は、彼または彼女のプロフィールをいただいた名刺より比較的間違いのない情報として教えてくれる。
よく言われている、靴を綺麗に磨いているから良いとか、片側だけ踵のすり減らした靴だからだらしないというような判断はしない。ジャッジはしないということです。
こんなふうに、機会があるたび靴を覗き見していると、靴の手入れをおろそかにしていても、人望ある神さまのようなひともいれば、清潔で適度に磨かれている靴が、長い間愛人を囲っている紳士の足元を包んでいたりということもあるので、人を語るには数字のようにぱちっと割り切れないことばかりだと気づかせられるのだった。
ひとの靴だけでない。
物や出来事や国や戦争なども、良い悪いとか苦手得意とか好き嫌いとか、そんなふうに左右に振りわけること以外のやり方で(存在)を確かめられたらいいのにとおもう。
眺める、ではまだ遠慮がある。
こっそり覗く。
もちろん、節度を守ってですが。
 
ある日のイベンターさんのパンプス。
お願いして撮らせていただいた。

なんと踵もハート形。
わかったことは、酒豪だということ。
 
 

鍵盤に遺る指紋を撫でてゐる風にふくらむ冬の小鳥は

漕戸 もり

 

 

KANさんの追悼はまだまだつづきます。

この世界に遺してくれた歌を大切に大切に聴く。