仕事で大変お世話になった名店の営業が残り僅かとなったので、気心知れた人たちと食事に出かけた。
プライベートではおもに経済的な理由(汗)で数回しか行けていなかったけれど、仕事では多くのパーティーを担当させていただいた思い入れのある店だ。
遠方に住む友人知人はもちろん名古屋人からも、名古屋で落ち着いて食事ができるとか、大切なひとをおもてなししたり接待でつかいたいとか、旨いワインに詳しいソムリエがいるとか、記念日にサプライズをしたいだとか…、そういった特別な日の相談があったとき、自信を持って紹介できる名古屋自慢のフランス料理店だった。
名店とはいえ敷居が高いというわけではなく、お客様に緊張を強いることなく、ときにはグルメのお客様の話に素直に耳を傾ける若いスタッフや、シェフの飾らない、でもわきまえている態度は心地よく、名古屋庶民の代表のようなわたしでもいじけることなく(笑)、美味しい美味しいと食べ飲み、上品気取りを許していただける貴重なお店だ。
 
変わるということは大抵の場合痛みをともなう。
せつないと言い換えてもいいような痛みである。
あたらしくなるのはどちらかというと悦ばしいことのような気がするけれど、歴史にポチッとピリオドを打つとき、その音は決して小さくなく普段の戸締りではなく、みたことのないような門戸に蝶番をかけるような音をかんじるのだ。
 
贅沢な時間。
癒されよう。

 

 
飲めるひとがいてよかった。
泡よりビール派だけど、このお店の泡に外れはない。
 
スープというカテゴリーに入れてはいけない。
ワインもすすむ深い味わい。
 
すでに写真どころではありません。
前菜すら撮り損ねている。
 
もはやありがとうとしか言いようがない。
 
 
すべて心に留め置いたから撮り損ねていても大丈夫。
技量だけでは名店とならない。
大切な人がどれだけいるかということを実感させてくれるのも名店たるゆえんなのだとおもう。
 
 

雑草と呼ばれる花に目をやればそれからずつと懐かしいひと

        漕戸 もり

 
この名店には、うっかりなつかしいひとを思いだしてしまうような小庭がある。
あなたもきっとすきになります。