その携帯番号はとうの昔に連絡帳から消してあったので、11桁の番号が携帯電話に流れてきても誰だかわからなかった。
もしもし。
もしもし?
その声はじぶんの苗字を丁寧に言ってから、お元気ですか、と尋ねた。
ああ。
何十年前。
ほんとうにほんとうに、本当に。
わたしはこの人のことが好きだった。
あまり、と、わたしはあのころのように不貞腐れて返した。
俺も、言いかけてその人は、僕も、と言い直した。
そして、分別のある大人らしく居住いを正すようひと呼吸おくと、KANさんが亡くなったのを知っていますか、とつづけた。
はい。ついさっき。
懐かしい声を聞いているという驚きよりも、KANさんの訃報のほうが重すぎて自分でも呆れるくらい短く返事をした。
それがかえって遠くに感じたのだろう。
その人は、今空港にいること。これから関東から仙台に仕事で行く途中であること。ふとKANさんの訃報をSNSニュースでみたこと。恥ずかしいほど狼狽してしまったこと。そして、気づいたらわたしに電話していたことを静かに話してから、大の大人がみっともないと侘びた。
KANさん亡くなりましたね,と、その人にというよりわたし自身に確認するように言ってみた。
そうみたいですね。
その人も自身に言い聞かせるような低い声で言うと、それからわたしたちは暫く黙っていた。
わたしたち?
それは誰にも咎められない正真正銘の(わたしたち)だった。
ひとときでも、お互いが世界でいちばん大切だったことのあったわたしたちには、いつもKANの曲が傍らにあった。
ただただ蒼いだけで尊いのだと嘯き、互いを慮る配慮などひとかけらも持ち合わせていなかった。
それでも、KANの曲の歌詞やメロディの繊細さをしみじみ、わかるねわかるねと言い合うことで、同じ気持ちでいるものだと信じていたのだった。
俺たち、と又言いかけて、僕たちそのものだった、KANの音楽は、とその人は言うと、あれから途轍もない時間が流れたことを一気に思い出してしまったのか、電話して申し訳なかったと何度も謝ると、声が聞けてよかったと最後に言った。
訃報に呆然としていたから、共有できてすこし落ち着くことができました。仕事頑張って。朝晩寒いから体調に気をつけて。お電話ありがとう。さようなら。
わたしもその人と同じように「ありがとう」と言って、そしてどちらともなく電話を切った。
それ以上でも以下でもなかった。
あのころの僕たちには知る由もなかったKANさんの死を、今の僕たちは別々の場所から悼んでいる。
KANさんも僕たちも永遠なのかもしれない。
あれからずっとKANさんの楽曲を聴いている。
壊れてしまった僕たちがあのころに戻って。
秋なのか冬なのかただ雨といふこたへに耳を濡らしてあふぐ
漕戸 もり
