アマチンさんはディスクジョッキーやタレントとしてよく知られていたけれど、そのじつ名古屋屈指の俳優だった。
今回改めてそう思ったのは、故人に手向けられた供花をみたからだ。
有名無名個人団体問わず、演劇界の方々から供花の数数数。
舞台芸術は演劇だけではない。バレエ、クラッシックなど多方面からの花も競うように並ぶ。
わたしは学生時代からしばらく芝居をしていた時期があって、チンさんの劇団「劇座」には役者仲間がいた関係で公演も度々観ていたから、そんなこと今更驚くことではないはずなのだけど、当時は北村想さんや佃伸彦さんの芝居に夢中で、チンさんの芝居の熱心な観客ではなかったのだった。だから、どちらかといえば演劇人としてのチンさんより、放送局で会うタレントのチンさんのほうに親しみを持っていた。
でも、わたしが物おじせずお話しさせていただけていたのは、チンさんの芝居を真正直に観ていなかったからで、もし放送局でお会いする前に俳優天野鎮雄を認識していたなら、あんなふうにお近づきになどとてもとても恐れ多くて無理だったかもと、今さらながら思うのだ。
 
福祉関係に携わる方面からの供花もたくさん見かけた。
チンさんが障害者にひたすら優しいというのは偽りだ。
番組にはよく障害をお持ちのリスナーさんを招いていた。もちろん障害のない方も。
そのどちらにも、時にはブラックに時にはホワイトに接し、時には泣きもし笑いもし怒り謝る、総じて平らかなのがチンさんの持ち味だった。
車椅子の人の目線の位置まで屈んでとか、耳の遠い人に近づいて話すとか特別なことはしない。
慮らないとは違う。わざわざしないということだ。
障害者も健常者も区別しない、あたりまえのように尊厳を体現されていた。
ときに、うまく言葉が発せられない障害をお持ちのリスナーさんに、見当違いの相槌を打ち「いやいやそういう意味ではないんです」などと返されて「ごめんごめん聞き間違えちゃった。もっとゆっくり言ってくれんと。ぼくも若くはないんで耳が遠くて(笑)」などと謝ったり。(イメージ)
こういうやりとりは側から見ていると冷や冷やしたけれど、なぜだかみなさまはチンさんのことがもっとすきになってお帰りになるのだ。
天性と片付けてしまえば簡単だけど、そんなふうに崇めたてるのはなにか違うし、なによりもチンさんが大汗を掻いて否定されるのが目に浮かぶ。
なんだろうなぁ。平らかとしか言いようがない。
通夜には車椅子の参列者がたくさんいらっしゃった。車椅子じゃない方も。
涙に暮れるというより、それぞれがそれぞれのチンさんの思い出を此処其処でぼそぼそと話して焚火をおこしているようなあたたかな晩秋の一日で、とてもやさしいお別れだった。
 
 

ゆふぐれのちひさき丘になりきみは菊花の魂に深く埋もるる   漕戸 もり

※魂…たま

 

 
情景が目に浮かぶ挨拶文に心温まる。