正確には10月の福祉行事?なのだけどすこし前のめりに(ご自由にお取りください)といって赤い羽根が貼りついた回覧板がまわってきた。
自由の背景には強制的な募金事情がある。
我がマンションの趣旨というよりも、地域を取りまとめる町内会の方針なのだろう。
最初から(そういうもの)と決まっていた。
ひと世帯200円ほどが自治会費から引かれているけれど、集合住宅に住んでいると、
は?
という方も住んでいないことはないので、きっと頑ななまでに「我が家は払わん」という世帯もあるとみえて、200円ほどの(ほど)に中途半端な数十円ほどが乗っかっているのも、なんだかざわざわする。
以前、階の組長をしているとき、
例えば生活保護を受けているなどの金銭的な事情があるならまだしも、比較的裕福な世帯ほどそういったことに反発されると聞いて驚いたことがある。
言われてみれば、我が階に夫も妻も医師でお子様も中学から私立に通うご家庭が住んでいるのだが、たまにしかない集会に一度も参加せず(少なくともわたしがここに越してきて10年間は)又、階の組長になっても面倒なことは一切しないという徹底ぶりに、かの医師家族以外の住民同士モノは言わないけれど(やれやれ)と、ときどき目配せをし合うのだった。
それにしても、だ。
赤い羽根募金の原則必要善、という軽いジョブはこの回覧板が回ってくるたびに、倒れはしない程度に足元をぐらりと揺らす。
そもそもこの募金の使い道すら知らない。
でももろ手をあげて賛同しかねる複雑な心情はどう処理したらいいのか。
逆に強制にしなければ自主的に募金をするのだろうか。
このようなさまざまな事柄が、小骨のような感触で喉元をつまらせる。
ただでさえ公私共に慌ただしい毎日にいて、せめて衣食住レベルでは波風を立てたくないのだ。
それで、というわけではないけれど、これまでずっと赤い羽根はいただいていない。
こんなつまらない抵抗しかできないのは、どうもわたしだけではないらしい。
回覧板は我が家に届くまで4軒を通り過ぎるのだけど、一本も抜かれた形跡がない。
情けないけれど
みんな、そういうことなのだとおもう。
分量のおなじ昼夜の愛の羽根 漕戸 もり
秋分の日。
明日から昼がちいさくなり、
夜の距離がだんだんのびる。
