CDラック。
YouTubeやアプリのおかげで滅多に開かなくなったCDラックを眺めていたら、好きなアーチストの半分以上はもうこの世の中に存在していないことに気づいてしまった。
ひとつはバンドとして、もうひとつは生命として。
それりゃそうだ。お前は何年生きてるのかという話だけど。
バンドは、いくら再結成したとしてもそこに純粋な魂をみつけるのは難しい。ただ在るのは、お互いの近況を語り合うあのころの<未来>だけだ。あの、夢を語るキラッキラのまなざしは、<未来>が輝いていてもいなくても見ることができるのは稀だとおもう。
生命としてさようならをした場合はどうだ。
逢えない。まあこれはいい。もともと雲の上のひとだった。画像や歌声を聴くだけの存在は、生きているという約束で成り立つようなものだったから、彼の命がこの世から消えたといっても、遺されたものを聴いたり見たりすることは今までどおりと何ら変わりはない。
もう二度とあたらしい曲は聴けないという一点が悔しいし残念だけど、それも悲しいかな時間が解決してゆく。
わたしにいろいろな音楽を教えてくれる(もちろん勝手に教わっている)殿山泰司さんすら、もうずいぶん前に鬼籍に入るひとだ。
雨の日は、センチメンタルになる。
センチメンタルなどと言っているうちはまだいい。
突き詰めてゆくと大惨事になるからもうこの話はこれでおしまい。
オリーヴの実の心身を油に浸す 漕戸 もり
