(高血圧話のつづきです)
我が家には醤油がない。
煮物や鍋物のときに使う<だし醤油>はあるので、どうしても醤油が欲しいひと(家人)はそれを使う。
なんだかわたしが家人をないがしろにしているような印象になってしまうが、家人はわたしよりもヘビーな高血圧で、とうの昔から降圧剤を服用している。今年動脈硬化の検査をしたら、なんと血管年齢が86歳だったというつわものだ。にもかかわらず、だし醤油とはいえかけるのはやめないし、休肝日はあるらしいのだけどアルコールをやめる気配は1㎜もみられない。
それどころか「あれだめこれだめと、食生活に口だしをされることがいちばん腹が立つ。放っておいてほしい」と、減塩を心掛けている相棒の手料理へ、むきになって塩味を振りかける。
ゆでたまごに塩くらいは目をつぶるとしても、あらゆるものにマヨネーズをかけるので、料理人としては「マヨネーズ丸ごと食っとけ」という気もちにもなる。
実父が高血圧が原因で脳梗塞になり、逝去するまで長らく杖をついて暮らしていたので、それがどんなに不自由なことなのかわかっているだけにそうなるのが怖い。
一方、義理の父もおなじような経緯で脳梗塞をした経験があるらしいのだが、ありがたいことに後遺症もなく今も元気でいるから、息子である家人には今一つ実感がないのだろう。
「半身不随になれば、車の運転も仕事も野球もゴルフも飲酒もなにもかもできないのよ」と言うと、前述のように「生活に口出しをされることがいちばん腹が立つ。放っておいてほしい」(イメージ)などと、聞いたようなセリフがAIのように繰り返されるのだった。
お寿司には当然ながら醤油をかけない。
寿司のおそろしいのは、酢飯に相当の塩分がふくまれていることだ。
そしてもっと怖いのは、魚自体に塩味があることである。
寿司を食べた翌日はびっくりするくらい血圧が上昇するから、お刺身ですら数年前から醤油を垂らさないようにしている。
家人は?
じゃばじゃばですよ、あなた。
放っておいてほしいんだから、どうしようもない。
ただひたすら互いの無事を祈るしかないという、なんとも心もとない同志なのである。
蜂蜜を掬つた匙の残暑かな 漕戸 もり
夏のはちみつは暑苦しい。
掬ったあとのスプーンは嘗める派です。
