先日、非難はしごと火災報知器の点検があった。
ここ数年ビル火災の恐ろしさを耳にする機会が多いので、万事用事を繰り合わせ在宅するようにしている。何かあってからでは遅いのです!とわたしが声を荒げたい先は階下の住人だ。
ここに住むようになって10年ほどになるが、どの時間帯においても点検の日にいらっしゃったためしがない。その場合の点検はどうなるかというと、はしごは降ろせることは降ろせるけれど、階下のベランダに作業者さんが足をつけると、法律で不法侵入扱いになるらしいので、実際はしごが人の重みに耐えられるのか、また、階下のはしごが作動するのかまでは確認できないまま終了となる。
おいおい。
万が一はしごを使わなければいけないとき~火災じゃなくても地震でもあり得る~、わが命は階下で息絶えるという人生を、年に二回点検のたびに想像し震えあがっていた。
そんな曖昧な点検があることすら知らず、能天気にうひゃらうひゃら暮らしていた家人に、昨年のある日事情をふと漏らしたら、なにやら急に山が動きはじめた。
それはおかしい。おなじ家賃を払っていて、安全が平等に提供されないということは間違っている。もしセキュリティーに手抜きがあり、それによって惨事が起きたら管理会社は命の責任を取ってくれるのか。もしくは、安全性に不平等があるのなら、家賃を引いてもらわないと腑に落ちない。
などと、しがないサラリーマンあるあるの、誠に正当性のある、けれど非常に暑苦しい持論を述べ始めた。
いやいや、わたしも言ってますってば。けれど、法律ですからとか、在宅について抑止力はないんで、などと相手にされないんでねと言うと、一気に彼の論破したい欲望が沸点に達した。
そこからはお見事としか言いようがない。
翌日、仕事の合間に管理会社に連絡、改めて担当者が後日数人で来訪。担当者より階下の住人へ再三にわたる電話やおしらせの投函。挙句の果てに、初動の点検チラシそのものに「安全を鑑み不在の場合もベランダに降りる」ことが明記されるように改正された。
実はここには、もうひとつの波乱が潜んでいる。
女(わたし)ではなく男(家人)が登場してきたことで、急に先方(管理会社)の耳が開いたという側面だ。
これはこれで、まあ後日機会があればお伝えするとして、今年は無事に(正確には昨年より)、階下どころかそのまた下の埃まみれのはしごまで、めでたく点検してくださった。
巨漢の作業者さんが、ふたつのはしごを降りていくのをうえからみていると、二軒のお宅のベランダの一部がどうしても目に入ってくる。
ひゃあ~。
物は置いてあるわ、捨てていないゴミ袋の山だわ、そこそこの恐怖を味わった。
怖すぎる、と怯えるわたしに作業者さんは「結構こんなもんっすよ」と涼しい顔。
二軒様とも名前も素性もしらないことが幸いなのか、どうなのか。
日常とは、このようなまじおもんない事件の連続である。
空として梯子を降ろす蓋を持つ青空ぢやない空白のため
漕戸 もり
オリローハッチのユレーヌ。
笑わかそうと勝負している。
