芥川賞と直木賞の知らせがやってきた。
年に2回もあると、前回1月の受賞作どころか、前々回にあたる昨年の今ごろ受賞された高瀬隼子さんの話題作「おいしいごはんが食べられますように」ですら読まないまま、そのうえ、気づけばAmazonで中古なら500円ほどで買えるようになっている。
文学に劣化ということばを当てはめるのは見当違いだとしても、<話題>がこんなにも速いスピードで風化してゆくのを目の当たりにするのは、ちょっとした脱力感をともなう。
自分勝手に肩書を<作家>と名乗るのは自由だから、ネットでも紙面でも存じ上げない作家さんが存在するというのはまだわかる。けれど、このところ文学賞が(詩歌もふくめて)乱立し過ぎているせいで、作家の経歴に<○○賞受賞>などと立派そうな文言が並ぶのを見ても、はてさて?あなたはもちろんのこと、くだんの賞ですら聞いたことがないんですが、ということが多すぎる。
賞を取っていることが、作品の程度、或いは作家の水準を保証される時代ではもうないのかもしれない。
読み手の感性や直感が試されている。
それを磨くには孤独に読みつづけるしかないのだけど。
 
 
 
    木苺の傷付かぬやう毟られる    漕戸 もり 
 
 
毟るという選ばれかた。
それでも待ち望んでいる。