ときどき仕事で東京に行くと、必ず立ち寄るのが神保町。
歌集や句集はもちろん、廃版になっている小説の文庫本が3冊100円などと無造作に積み上げられていると、だれとも競争していないのにきょろきょろと辺りを見回し<奪う>ように買う。
10年くらい前に岡井隆さんのサイン入りの歌集をみつけて即買いしたのだけど、もともとサイン本というものに魅力を感じないせいか、フリマで売ってしまった。どういうわけか、一度手に入れた本はそこからわたしの所有物になって、いくら著者のサインであっても<汚されたくない>のだった。
そうでなくても、転売というとなんだか後ろめたいが、欲しいひとに適正価格でお譲りするのは書籍にとって喜ばしいことだとおもう。だからお宝ものの書籍を購入しても、後生大事に書棚に保管することは多くない。読みたくなれば神保町やAmazonを彷徨えばいいし、かえって人生のたのしみがまた増えたとおもえばいいのだ。
 

中城ふみ子著 歌集 乳房喪失 短歌新聞社発刊

 

神保町でみつけた、貴重な文庫サイズの歌集。歌集は高価で重く持ち歩きができない単行本サイズが多いなか、おそらく初めて手に入れた文庫本の歌集だった。鞄にいれて持ち歩けるので、待ち時間の多い仕事のときなど、熱心に愛読したものだ。

けれど、ハードカバーではあるが中城ふみ子全歌集を持っているし、いつか手離そうとおもうようになった。

コロナ禍のなか、身近なひとが乳がんに罹患したのだ。

それ以来、この背表紙をみるのが辛くなっていた。辛いというより、痛みに近い。

ブックカバーをかけて、タイトルがみえないように保管していたけど、かえってそれが、しぶとくそこに在るという証しになっていた。

 

今年はじめ、古本屋さんに買い取っていただいた。

その前に撮影したのがこの写真。

文学的思考はどこにもなく、非常にリアルに、検診をしなければいけないという戒めのために撮ってみた。

それにしても、歌集乳房喪失とは、つくづく強烈なタイトルである。

もうすこし涼しくなったら、じゃない。

今すぐに検診予約しなさい、と迫られる。

 

 鷲掴みされる乳房を胸に抱き一枚羽織る夏の待合

                 漕戸 もり

 

検診は苦手。