こういう晩御飯もたまにはいい。
24時間マックのなんと神々しいことか。
マックがそんなふうに見えることもある。
それが生活というおかしみなのだとおもう。
メニューは、てりやきマックバーガー、ベーコンレタスバーガー、プレミアムローストコーヒーのホットMサイズ。
マックは最初の10分が至福のときだ。それ以降は、対峙しているような気になって必死でかぶりつく。そして、なんとか目途がつきそうなころ、やれやれとひと息ついて残りのコーヒーを飲むと、急に苦みが鼻につく。
それでも、至福の10分が、どうしようもなく懐かしいとおもうときがある。これを中毒と呼んだりするけれど、中毒ではない、これはあくまで郷愁なのだ。
そろそろ体にいれておこう、という感覚は、ここらで音信不通の友人に電話でもしておこうか、というのに似ている。
今のところ、死ぬまでときどきマックが食べたくなると信じている。
信じてはいるけれど、この日、てりやきマックバーガーはもう無理だなと気づいてしまった。
10分よりも前に、至福が終わりそうなことを知るなんて、なんて甘っちょろい体なのだろう。
気ばかり急くのに、体が受け付けないということをこれからどんどんわかっていく。
たとえば、心から会いたい友人に電話を掛けるようになるのだろう。
そして、薄っぺらいマクドナルドのハンバーガーを食べている、おばあさんのわたしを想像するのだった。
ひとケースカルピス届き目分量許されながら七月になる 漕戸 もり
糖分もそろそろ難しくなってきた体である。
中元はタオルや乾物がいい、などと注文したくなる。
もうこれは、おばあさんの完璧な入口。
