大食漢だった。
まあ、今でも意欲だけはあるけれど、
持っている屋台(体)が築(生誕)何十年にもなると、
特に水回りなど目も当てられない。
見えないところだからって油断していると、すぐに溢れたり詰まったり揺れたり、
挙句の果てに、ご近所さまにもご迷惑をかけることになる。
 
ひさしぶりに母と兄弟と食事をした。
カジュアルなフレンチのコースで、魚と肉のどちらかを選択する。
さすが血縁者だけあって、全員一致で魚を選んだので
それでは面白くないからと、わたしは肉を頼むことにした。
肉は○○産ポーク。魚は○○産のサーモン。
目で見ても美しい一皿が登場すると、母は
「よしこさん(仮名)、肉と魚を変えてくださらない」(フランス風)
とカトラリーに触れるはなからわたしに言う。

傘寿のひとは、昔からほっそりとしていて、食事の途中にいち早く、

食べられない、もうおなかいっぱい、などと言うのが常だったが、

そうは言いつつ、ひとりで鰻を食べに行くというような食い意地が張っているので、

ビジュアル的にやっぱり今日は肉よね、と判断したのだろう。

といいながら、胃袋の許容範囲が狭いので、最終的に子どもたちが、

母の残りものをお腹に入れる羽目になるのだけど、

肝心の子どもたちも薹が立ってきているので、

なんだかお互い残念がって、唐突に三好達治の詩などで誤魔化しながら、

ほろ苦い珈琲を飲んだのだった。

 

 

__海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。

そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。

三好達治「郷愁」より抜粋

 

 

フランス語で母はmere。海はmer。

フランス語を第二外国語で履修していたけれど、

これ以外何も覚えていない。

つまり、三好に出会うためだけのフランス語だったというわけだ。

 

 

 

みているだけでいい   漕戸 もり

 

みているだけでいい

そんな

可愛らしく儚げで控えめな感情にも

欲望という

腐った肉のような

たつたひとかけで

プロポーズがまるで台無しになるような醜さがあることを

身だしなみのように知つておこう

知つているだけでなく鞄にいれて持ち歩こう

そして

みているだけでと言いかけたとき

喋り疲れたあとに塗るリップクリームみたいに

取り出してくちびるにひとぬりして

醜さを嗅ぎながら

みているだけでいい

とひと息に言うのだ

わたしはみているだけでいいの

ただそれだけ、と

 

 

 

みているだけでお腹一杯。