G7が開幕した。

なにを食べたとかそんなこと教えてくれなくてもいいので

地球人としてトップに立つ自覚をもって真剣に論じて欲しい。

あなたはそういうお仕事を選んだ。

ほんとうはこんな七面倒くさいことはやりたくないんだけど一丁やっとくか、

というように<国民の皆様のために>を使わないでいただきたい。

手を挙げて立候補したのでしょう。

あなたに比べればミジンコにも及ばない仕事かもしれないけれど、

わたしもわたしの仕事を選んだ。

クライアント様相手の仕事だけど、クライアントのためだなどとおもったことはない。

仕事の成功が結果としてクライアントのしあわせに繋がっているだけである。

餅は餅屋。

どうぞ地球の一部の代表者様各位、当然の仕事をしてください。

 

それはそうと、日本人はしあわせを食にかんじることが多い民族らしい。

「しあわせをどんなときにかんじるか」を

世界のひとびとに尋ねた統計結果を聞いて驚いた。

家族と過ごすときとか、趣味を楽しんでいるとき、寝てるとき…、

各国いろいろな答えがあるなか、日本人だけ

「(おいしいものを)食べているとき」という答えが

圧倒的に多かったらしい。

わたしも、そうでしょうとうなずくけれど、

改めて<しあわせ>について問われるとき、

外国のひとたちは<食>へ考えが及ばないらしい。

いや、グルメさんは国内外にいるでしょう、いるのだけど

「しあわせにかんじるときは?」と聞かれたときに、あたりまえすぎて

口をついて出るような<しあわせ>ではないということなのだろう。

一体日本人は、ゆたかなのかまずしいのかわからなくなってきた。

 

芸能人の自殺未遂とG7が脳内のちょうど半分ずつを占めていることが、

この現象と関わっている気がしないでもない。

手ざわりみたいなものがあるとしたら、

美味しいものを食べることと、人間関係や趣味やその他にかんじるしあわせでは、

どこがって聞かれると困るんだけどたしかに違う。

なのに、ぜんぶいっしょに卓上にばらまいて選んでいる。

食べることも、芸能人の自殺未遂もどちらもないがしろにはできないけれど、

しあわせに感じるときや、G7のことをかんがえる卓に、

それらはあげないほうがいい。

病の場合は例外として、

たべることは当然にしあわせ(すくなくとも不幸ではない)であるはずだし、

ましてや個人(この場合、芸能人)の私生活に考えを及ばせるのは、

大きなお世話に他ならないのだし。

そういう意味で日本人(わたし)はまずしいのかもしれない。

 

しょんぼり。

 

 

  字余りに掬ふ手薄し速報の地震G7緊急搬送      漕戸 もり