子ども食堂という名称に違和感があったのに、いつのまにやら慣れている。
コロナ禍になる数年前、なんどかお手伝いに行ったけれど、
子どもより近所のお年寄りでにぎわう<子ども>食堂だったことが、
いかに牧歌的で平和な風景だったかと今になって気づく。
この日の夕刻、ここで子ども食堂の中に書く<子ども>とは違う種類の子どもを、
たくさん見かけた。
あぶらで濡れた肉を食べ、家族から愛でられ、
帰りにはお店の玄関で兜をかぶらせてもらい、鯉のぼりのまえで記念撮影をするらしい。
子ども食堂という名称に違和感があったのではなく、
違和感とおもっていたものは、嫌悪感だった。
そんなことをおもいだした瓦町。
最期までちやんと飼ふから鯉幟 漕戸 もり
