<特別>にめっぽう弱い。
いいほうにも悪いほうにも<特別>は有効なので、
やりたい放題だ。
<特別>を取り締まる法律もないので、そこから顔をそむけるしかない。
にもかかわらず稀に、向かい合うしか仕方のないときがある。
そういうときは観念して、悪酔いしてやろうじゃないのとさっさと諦めてしまう。
諦めが肝心というではないか。
それにしても。
諦めてよかった、なんてことあったためしがない。
酒場ではの話だけど。
特別に手を焼いてゐる修司の忌 漕戸 もり
5月4日は寺山修司の忌日。
わたしのなかの寺山修司には、覗いているという印象が漏れなくついてくるので、
なんだかすみませんという気分。
