東桜歌会。
もうすっかりオブジェとなっている菓子。
ちらちらと盗み見るだけでも心が潤う。
ふ菓子
塩バタかまん(九州方面のお土産か?)
信長のえびしょっぱい
etcetc...
ネーミングがすごすぎやしないか。
コピーライターという職業がもてはやされた時代があった。
林真理子や糸井重里など、あのかたがたは泥とか汗とか
そういうなまなましいものとはかかわりのない場所で生きている
(女優さんがトイレに行かないという逸話とはすこしちがう次元で)
ような気がしたものだけど、こういう
ふざけているのか遊んでいるのかわからない<ことば>に出会うと
その深刻ぶらない感じは、次世代に引き継がれているのだと確信するのだ。
<ことば>といえば、ひさしぶりに歌会で
インドりんごという固有名詞を聞いて嬉しくなってしまった。
そうそう、あったあった。
いつのまに消えてしまったけれど、幼いころはよく食べていた。
なんでも、よくしらべてみると高級なりんごだったらしい。
今の今まで知らなかった。
夕食のあとフルーツを食べるのが実家の慣わしだったので、
りんごや梨やマスカット、苺に山盛りのお砂糖とミルクをかけたものなど
歌番組を観ながら頬張るので、品種をたしかめる余裕も理由もなかった。
高級だと知っても、べつに我が家はとくべつ裕福というわけではなく
単純に母がすきなだけだったのだろう。
インドりんごが好きな母って、それだけでおもしろい。
インドりんご
それにしてもごっついネーミングである。
たとえば、九州出身でもないのに九州男と名付けられ
ともだちに不思議がられるような運命をはじめから持っている。
何十年も見ていないので記憶でしかないのだけど、
インドりんごとは、わりと大ぶりで
絵本にでてくるステレオタイプのりんごみたいな
どこから眺めても<りんご>らしいりんごなのだった。
すっかり忘れていた。
というか、知っていることも忘れているので
どうりで口をつくということがないはずである。
もしかして<インドりんご>のような
今聞くとおかしみのあることば(固有名詞であれ)は
引き出しの底にほかにも眠っているかもしれない。
そういうことばは、おかしみでもあるけれど
郷愁でもあるし愛しさともいえる。
取り出してふれてみると心が満ちてくる。
それは、歌会のお菓子のような存在になんとなく似ていなくもない。
いやはっきり言うと、同じなのだとおもう。
なにはともあれ、
今日もごちそうさまでした。
さて短歌も俳句もがんばりましょう。
しゆんぎようの嚏を嚙み殺してゐる 漕戸 もり
花粉、飛んでます(泣)
