2月中旬から3月3日まで実家では母の手で飾られた雛人形がみられる。
さすがに7段を組み立てることはないけれど、
きちんと3日には片づけるそうだ。
もう嫁にもいったのだし(娘が)せっかく箱から出したのなら、
3月中は飾っておいたらどうか、と言うのだが
いや縁起物だから、とそさくさ箱に入れてしまうので
先週、写真だけ撮ってきた。
これ以外に、ぼんぼりや赤白緑のひし形の餅や白酒などを置く
一本足の漆の御盆など、出していない小物があるとはいえ、
釵子や冠、檜扇や笏などの、人形が直接身に着けるものを
ひとつひとつ、保管のために包んである薄紙を剥がし
整えていくのは結構な手間がかかる。
わたしが子どものころは、父が段の組み立てをして
赤い毛氈をしつらえているうちに、母とわたしは
どの道具がどの人形の持ち物なのかをおしえてくれる
冊子を傍らに、慎重にそなえていたものだった。
もうすこし成長して中学生になると、
仕事で忙しい母から飾り付けをすっかり任された。
ひとり作業の気安さもあったのと
作業を終わらせて早く遊びに行きたいばかりで、
冊子も見ずに飾り付けるものだから
あのころの我が家の三人官女や五人囃子は、
ずいぶんちぐはぐな持ちものを持たされたまま
年に唯一の晴れ舞台を終えていた。
ある春など、三人官女と五人囃子からてきとうな人形を選んで
お内裏様とお雛様の位置に飾り付けてみた。
どう考えても奇妙だし、逆に三人官女と五人囃子のひとりとなった
主役のふたりは、段からはみ出て今にも転げ落ちそうである。
それでも、父はともかく母は当時たいへん忙しく仕事をしていたせいで
なにも言わないので、結局数日後にはおずおずと
じぶんで元通りの場所に戻したということも、
いかに当時両親が慌ただしくしていたかを語るのに
今ではちょうどいい逸話となっている。

とりあえず今年も無事に雛人形を出すことができただけ良しとしよう、と

三月だけでなく季節の行事に対して、そのような空気が我が家にはあった。
 
いつだっただろう。
父が亡くなり、段を組み立てなくなり、
仕事の一線をリタイアした母が、雛人形を掬うように箱から取り出して
お顔を専用の布でやさしく拭ったりするときに、
まるで子を愛でるまなざしで人形を眺めているのに気づいたのは。
また、人形を箱に納める際には、おなじようにお顔を拭いたり
小物をたいせつにたしせつに包みながら
「ありがとう」と話しかけている気配をかんじたのは。
 
やさしいきもち、というのはなんだか具体性に欠けるが
言葉の持つあたたかさやひらがなで綴ったときの印象が気に入っている。
晩年、雛人形をひとりで飾りつけるというときの母が、
やさしいきもちになっているといいなあとおもう。
わたしは娘を持たないので、母のような経験はできないけれど
こういうやさしいきもちに包まれるひとときが、
このさきわたしに、
どんなかたちで巡ってくるのかすこしたのしみでもある。
 
うすのろという生活にもたまには光を。
やさしいきもちを。
お母さん今年もありがとう。
 

 

 

   桃の日の母より繭の匂ひ来ぬ    漕戸 もり