このところ数字の計算に追われていたり
実家のあれやこれやに時間がとられているので
うっかりするとこんなに久しぶりになってしまう。
要するにぼやぼやしていてはだめだ、ということです。
 
今日は打ち合わせ時間の調整がついたので
写真の会場に。
 
がしかし。
 
短歌結社「心の花」の田中さんの講演(だけ)とおもいこんでお伺いしたら、
なんと「短歌会館賞」という賞の授賞式を兼ねていたのだった。
その賞が、どのような経緯のどういう方々が対象なのかもさっぱりわからぬまま、
投稿も受賞もしていないのにのこのこ出かけて行って、
受賞者どなたかの家族や友人のような表情で
<おめでとうございます>とお祝いしてきたのだが、
逆にかんがえれば、こんな不届きものにおめでとうと言われても、
遠慮ねがいたいと言われてしまいそうである。
遠方からの受賞者様もいらっしゃったので、きっと名誉ある賞なのだろう。
けれど、心からおめでとうという気もちにはかわりはない。
それに、冊子はいただけなかったけれど
選者から受賞作品(存じ上げない歌人様の歌であれ)
の評を拝聴できたのは学びになった。
 
ここ数日、生活という<うすのろ>に支配されていたし
また暫くこれはつづくと予感される案件なので、

ハプニングだとしても、

ひとが<一生懸命>目標に向かっている姿勢をながめるのは、

決して悪いことではない。

(もちろん田中さんの講演は勉強になりました)
田中さんが師と仰ぐ「心の花」の佐佐木幸綱さんが、
 
「(わたしを)先生と呼びたいのなら(わたしの歌を)百首覚えてからにしなさい」
 
とおっしゃったエピソードは、師弟の情愛もかんじられて
羨ましく心に響く。
 
百首かぁあああ。
自選歌でも無理だ。もう聖飢魔Ⅱ。あ、訂正、世紀末である。
 
佐佐木幸綱さんの名歌もご紹介されていた。
わたしのすきな歌もあったのでつい嬉しくなる。
 
  わらいつつ日本酒飲めば酔い早しあかきみみみなあかきみみみみ
       佐佐木幸綱   「呑牛」佐佐木幸綱歌集 本阿弥書店より
 
 
佐佐木幸綱さんのお酒をふくむ歌は、
読み手がたとえ禁酒していても禁をほどいてしまうような誘惑力がある。
危険危険、とおもえば思うほど近づいていって
匂いを舐めるようにして読む。
 
田中さんは挙げられていなかったが、
 
   満月の四十階のバーに飲む酔ってまだ飲むドライマティーニ 
      佐佐木幸綱   「アニマ」佐佐木幸綱歌集 現代短歌文庫より
 
こちらもドラマがあって、佐佐木幸綱酒シリーズ(自分勝手に漕戸もり編)では
上位にあがる酒名歌である。
 
飲みたくなる魔力にかかる前に今日は消えるとするか。
明日は早くから仕事。仕事の前日は飲まないことにしている。
※顔がむくむため(泣)
それなりにうつくしいわたしでお会いしましょう。