いかなる仕事先であろうとも、
コロナウイルスの対応コメント原稿を携帯するようになって
まる3年になる。
原稿にして約2枚ほどの<ご案内>は、屋内外規模内容問わず
高級フルコースにとりかかる前のアミューズみたいにもれなくついてくるので
正確にいえば、すでに原稿は不要で録音テープのように口をついて出てくるという
桃太郎の出だしのような感触がある。
喋る方がこうなのだから聞く方はもっとだろう。
細かな微調整もお手のものだ。
たとえば、コロナ禍厳戒体制の時期には…
(そんな時でもイベントはあるところにはひっそりとある)
不要不急の席移動はお控えください
※もしここで感染者がでたら濃厚接触者であふれてしまうため
ゲスト同士のお酌はご遠慮ください
※瓶類であれ他人の触れたものからの感染も考えられていた
SNS上への投稿は固く禁じます
※ささやかであれイベントをひらいていることが知れたら
企業ダメージ或いは個人イメージが悪くなる
などなど。
当時をおもうと、未曾有の事態に識者からの情報もなかったので、
とにかく厳格化するしかなかったのだった。
いちばん酷いときなど、マスクをしたまま進行するのはもちろんだけど、
司会台はお客様がいらっしゃる位置からずいぶん奥に設置され、
今日は影マイクで進行されているんだ、と
勘違いしたまま会場をあとにされたお客様がいらっしゃることもあった。
そこまでじゃなくても、
テレビ人生相談(そんなものあるかどうか知らないが)のように
司会者のまえに顔すら判別できないビニールカーテンのつい立が設置され、
なにやら神妙な心持ちになったことも一度や二度ではない。
そう考えると、コロナ禍4年目の今はなんと平和なことだろう。
コロナを5類にするとかなんとか言われているけれど、
コロナ起因での死者は増えていると聞くとまだまだ安心はできない。
でも、常識をきちんとわきまえていれば
笑顔を隠すマスクは最低限に越したことはないのだ。
現在、コロナ対応原稿のなかで使う箇所は数行となった。
医師の大勢が集う会ですら、ノーマスクの方々をおおくみかける。
(特別なケースを除く)
いやよくよくかんがえてみると、昨年くらいから
医療関係者のあつまる会合ほどノーマスクのお姿をみかけることが増えていた。
「もしかしたらわたしたちが知らないだけで
医療関係者はいち早くコロナ感染に関して有効な情報もしくは
無効な情報を得ているのかもしれない!」と家人に報告したものだ。
逆にそれくらい、ノーマスクのひとが珍しくなっていた。
大声を出してハグしたり、いちいちくちづけを交わすわけではない。
しみじみと、お祝いやお悔やみを
表情というものをみたりみせたりしながら述べるのは
漸くできるようになる。
ただし、節度をもってという前書きを抜きにするのは
もうすこし先になりそうだ。
アナウンス不要論と大きく出てみたけれど、
どうなのだろう。
新たに記載するべき<ご案内>に春のあたたかさがありますように。
木の根明く眼の隈にコンシーラー 漕戸 もり
※明く(あく) 眼の隈(まなこのくま)
