街の本屋さんがつぎつぎとなくなっている。
記事になるくらいなので、心痛めているひとも多くいるのだろう。
生活圏に<本屋さん>があると、買う買わないはべつとして、
本屋さんはその街に暮らしている人々の拠りどころみたいにみえる。
< >のなかを八百屋さんやお肉屋さん、金物屋さんや魚屋さんと入れ換えても
これらは同様に人々の気もちのうえでおおきな相違なく、
なんならわが街の自慢のひとつとおもって眺めている。
アクセサリーとも言えるだろう。
街の精肉店に肉を買いに行くのは年に数回しかない記念日あたりだ。
今日は美味しいハンバーグをつくろう、とスーパーよりもすこし高価なかたまり肉を
店頭でミンチに叩いてもらうわがままを聞いてもらう。
お馴染みではないのに、そういうときはなにも言わなくても
数グラムおまけしてくれたりする。
だから訪れるたびに「イオンなんかに行かないでこれからお肉はここで買おう」と
心に誓うのだが、イオンに日用品などを買うついでに肉も買っておきましょう、という
<便利さ>が重なるうちに、また記念日がやってくるというくりかえしだ。
わたしが買いに行かない365日の内のたとえば約360日ほどにも、
そのお肉屋さんに日常はある。
いくらなんでもわたし以外にお客はいるのだから、
わたしひとりが買い物に行かなくても大丈夫だとおもうのだけど、
おなじように大丈夫とおもっている人もやっぱりいて、そうこうしているうちに
お肉屋さんは街のアクセサリーなんかでは維持できないようになるのだ。
かといって、お肉屋さんの生活事情を慮ってお肉を買いに行くというのは、
どうもなんだか違うような気がして、それでこういう問題は
いつも堂々巡りになってしまうというしくみになっている。
先日こんなSNSがながれてきた。
要約すると以下のイメージだ。
本をネットで買わず近所の本屋さんで買えば、本屋さんは近くの喫茶でお茶が飲める。
すると、こんどはその喫茶店の店主が休憩に近くのお饅頭屋さんに行って
大福を買って食べることができる。すると、こんどはお饅頭屋さんが…、
というような潤いの連鎖のおはなしだった。
だから、本は手に取ってお店で買いましょう、ということらしい。
よくわかる。
わかり過ぎてじぶんが悪代官になった気分でしょんぼりしてしまった。
大抵のひとは、そんなことはわかっている。
閉店を加速する街の本屋さんに、謝らなければならないのだろうか。
わたしの住んでいる街には郵便局と100円ショップ以外はなんでもあった。
書林房五常というなにやらたいへんありがたい名まえの本屋さんですら。
一階フロアーだけだったが、街の本屋さんにしてはわりと広くて
話題の本はひととおり揃っていたし、雑誌のラインナップも充実していたほうだとおもう。
けれどもわたしのもとめるようなサブカルチャーものや、短歌詩歌俳句関係には弱く、
たとえば短歌俳句系の月刊誌は注文しないと入荷しない、
もしくは入荷は各種一冊だけなので発売日朝には売れてしまう、と
店頭にない理由をうかがったらこんなこたえがかえってきたこともあった。
歌集や句集に関しては入荷に時間がかかるうえ、
入荷依頼したものの手にしてみてやはりいりません、とは
絶対言えないのが購入の障害となった。
文芸誌だけでなく、資格試験のための参考書なども同様だった。
本屋さんが悪いのではない。お客が悪いのでもない。誰も悪くない。
だれもなにもできなくて、本屋さんに謝られ(パートのおばさんだった)
わたしもなんだか申し訳ない気持ちになって次第に足が遠のくうち、
気づいたらお店はなくなっていた。
七五書店や三洋堂上前津店のように新聞に掲載されることもなく、
ひっそりと閉店した。
それはちょうどコロナ禍の前、
豪華客船でコロナが蔓延の兆しをみせていた数か月前の春だった。
本屋さんの匂いや雰囲気や佇まいに惹かれて立ち寄ろうとおもうひとは多い。
本を読んだりページを捲ったりしていると、
すこしくらい早く着いても逆に待たされたとしてもあまり気にならないので、
人と待ち合わせるのに本屋さんを指定することもすくなくない。
でもそれは残念ながら、本を買うということとはまったく別物だ。
残酷なことに、欲しい本に触れたりあらすじを読んだり紙の手ざわりや質感を
たしかめるために本屋さんに赴き、良しとなったら翌日自宅に届けてくれる
Amazonでぽちりと注文することすらある。
本屋さんは街の慈善事業ではない。ましてやわたしたちの所有物でもない。
それなのに、街から本屋さんが消えてゆくのを騒ぐのはどうなんだろう。
七五書店が閉店の日、お店には大勢のひとが詰めかけたそうだ。
ひとびとの感傷がなんだか空々しい。
そんなことより、書店主さんは本屋さんという夢の先に彼の人生を
現実にどのように融和させてゆくのだろう。
テーマパークの閉演後にキャラクターのしずけさを感じるように
閉店の書店に書店主さんの静けさをかんじながら、
感傷的にどうしてもなってしまうのだった。
ひとつぶの感傷拾ふ福はうち 漕戸 もり
豆の撒きすぎに注意。
年齢ぶん。
感傷ぶん。
