なによりも、会場のなつかしさ。
ここは公立学校共済組合関連のホテル。
何十年も前、関連の仕事で通ったにもかかわらず駅の改札の出口すら間違える。
イベントや結婚式はまだやっているのだろうか。
閑、というのは清らかであるけれどうすらさびしい。

トイレが混みあっていたので(和式トイレは空いていたけれど、あいにく相当数の女性は

和式は使いません。きっぱり言っておきます)2階にあがると、

薄暗闇に婚礼受付があり、胴体だけのタキシードとドレス姿が迎えてくださった。
ひぇっ、と声が出るというのはこういうときのことで
おめでたいのか、そうでないのかよくわからずに用事だけ済ませてセレモニーへもどる。
 
お茶が薄い。
お祝いなのにうすい。
せっかくの授賞式なのに
今年はじめての批評会なのに。
会場は薄暗くても結婚式がなくてもかまわないけれど、
<祝>めいたときくらい、従業員のわりとできる人をつけていただいて
濃い、そしてせめて熱いお茶を出していただけると、とおもった。
 
2022年度の中日短歌大賞は三留ひと美さんの「美しき筥」。
当日は三留さんの代理のおふたりのかたが賞状などをお受け取りされていたのだが、
そのうちのおひとりが三留さんの謝辞を代読された。
この、名前を失念してしまったがわたしの母のような齢のかたの代読に胸を打たれる。
誤解を承知で言ってしまえば(そもそもここは「月のいれもの」なのだ)、
三留さんがしたためられた内容がというよりも、市井のかたが
ちいさいといえども舞台的な場所に立たれ、マイクのまえで代読をされたということに。
朗読を学んたり教えたり、外国人向けに日本語教材も出版しているけれど
そんなものはぜんぶまやかしで、
<読む>には優劣がつけられない、ただ文字通り<一生懸命読む>ということだけが
おのずと優れてしまうのだと改めて気づかされる。
特に自作を読む場合自己愛が見え隠れするし、正直気持ち悪い。
すみません、やっていますけど。
三留さんの謝辞を代読されたかたは、澱むことなく読みきられた。
いや、もし澱まれていたとしてもわたしはおなじように感動していただろう。
こういう灯(ともしび)みたいなものを忘れてはいけない。
「長くつ下のピッピ」のおはなしを仕事で疲れ果てた母の読む声でおぼえているように、
代読をふくめて朗読は、つきつめていくとそこにいきつく。
 
三留さんの作品は追ってご紹介したいとおもう。
それにしても第4歌集って。
素晴らしいことだ。
おめでたい、且つ羨ましい。
 
凡人なので、歌集というとまっさきに頭に浮かぶのは費用だ。
 
大学院で学ぶ(性懲りもなく未だおもっている)
ソムリエ資格を取る(エキスパートではなく)
プロレス巡業についていく(我慢している)
 
    >歌集
 
短歌の芥川賞と呼ばれる○○賞をとったらかんがえよう。
それにしても、旅行にも美食にも興味がないと人生は身軽だな。
上の3つくらいなぎ倒すようなチャンスがこないだろうか。
歌集を出して、お祝いしてもらう。
そのときは、濃くて熱いお茶をだしてもらうようお願いいたします。
 
 
 
 カーナビで見ると綺麗な曲線できみを迎へにゆく暮早し   
 (漕戸 もり  2023年1月26日中日新聞夕刊 第383回中日短歌会秀歌より)
 
昨年の中日短歌会で出詠したものを載せていただいていたそうです。
些細なことが心あたたまります。
感謝いたします。