相変わらずごった煮のような毎日で
頭のなかが乾燥しかけている。
頭皮ではなく脳みそのほう。
なんども言うけれど、生活に追われていると
歌や句を詠んだり小説や写真集を手に取る余裕すらなくなるものだ。
では石川啄木はどうだ?太宰治は?夏目漱石は?
心身の不調を抱えながらも、
後世にのこる素晴らしい作品を生みだしたではないか
おまえは甘えているのだ、とのご批判を受けるかもしれない。
いや、受けるだろう。
それとも、その逆か。
偉人とあなたは違い過ぎる。なんて図々しい奴なんだ、と
嘲笑されるほうがむしろ多いかもしれない。
まあどちらでもいい。
毎日あれやこれやと
良き悪しきはべつとして<出来事>はふってわいてくるものだ。
そんななか、家人が
「ひとつひとつかたづけていくしかないじゃん」と
場合によっては、こちらの気もちを逆なでしないでもないけれど、
至極まっとうな冷ややかさで、感情に熱をこめずに言うので
「まあ、おっしゃるとおりなんですけどね」とおなじ温度で返答して
粛々と雑多な案件をやっつけているわけである。
家族とは残念ながらこういう場合、
「じゃあ手をお貸しいたしましょうか」などと申し出たら、
「おめえなんもわかっとらんくせにうっせえだまれこのたこ」
(怒りのイメージ)
と言いかえされるだろう殺気が確実に伝わっているものなので
きっと教科書通りのことしか言えないし言うつもりもないのだろう。
喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもので、
もう互いに喧嘩する力も熱も萎びてしまった。
老いはこんなところにも忍び寄っている。
「老いてきたけど、まぁ~いっか。」 野沢直子著 ダイヤモンド社
ずいぶん前に買ってきたけれど、ばたばたとしていて
未読のまま書棚に山積みにしてあったのを手に取る。
こういうときさっくり読める本が嬉しい。
ふとスタジオにあるモニターを見て
「あれ、フナがいる」と思ったら自分の顔だった。
「老いてきたけど、まぁ~いっか。」野沢直子著より
こういう独白本(エッセイというんじゃあ?)のいいのは、
わたしだけじゃない、とおもわせてくれるところだ。
それでいて生活に影響のない時間で読み終えることができる。
よれよれと、やんごとなきことと対峙している日々に
先が気になる長編ミステリーや歴史ものなどの書物は、
もはや手を出してはいけないゾーンになってしまった。
とりあえず、3月中旬が山。
なんとかひとつずつひとつずつ。
凡人は凡人なりの闘いかたで乗り越えてゆくしかない。
隣には日陰あふるる木ですけど夏以外にも寄り添へますか
漕戸 もり
遠くから見守るって、つめたいことばだなあ。
