いつのまにか、先を歩いて道を拓いてくださるような先輩が
引退まではいかなくても、あとはあなたがおやんなさい、とおっしゃるので
その役割を預かるような立場になりつつある。
いやいやそんな、そうであったとしてもあなたの灯があるから迷わずに
何とかやってこれたのに、無理無理絶対無理と叫びたいのを
理性と経験と酒と男(と言ってみたかっただけです)で何とか紛らわし、
ここ数年、指導や助言をしたり(これらは人を育てる以上に自分育てである)
制作の仕事(というのは名ばかりの雑用)もどうにかこうにか
形になりかけてきたところである。
バブル期の恩恵を多少受けた世代といわれているが、実際渦中にいると
楽をして儲かる話や、何不自由ない恋愛話など皆無だったような気がする。
たしかに仕事はあふれていた。
わたしみたいな新卒馬鹿丸出しの世間知らずが、お迎えのタクシーに乗り出社するなんて、
今から考えると贅沢の極みだけど、家に帰るのが時間の無駄とおもえるくらい
24時間仕事があった。お金は小金ながらも増えたが、それは貧乏くさい言いかたをすると
身を粉にして働いた代償だったので、バブルの恩恵というよりも
「当然の結果でしょう」と醒め切っていた。
恋愛にしても、あまりいい思い出はない。
当時はアッシーくんやメッシーくんなどと、世間の男性は大学生であれお金を持っていたので、
いろいろと助けてもらえる男友だちはいたけれど、だからといって
彼らを恋人にする可能性など1㎜もないのだし、逆に賢明な彼らのほうも
そういうわたしたちの恋バナですら親身に聞いてくれる<余裕>すらあった。
バブルだからこその、世界を股に掛けたと勘違いした恋や、
背伸びして付き合って沼にはまり、急性○炎で病院に担ぎ込まれたこともあった。
おまけに担ぎ込まれた病院では、白血球の数値がどうのこうのと話している最中に、
担当医師にナンパされたというバブルを象徴する出来事もあった。
でもそれが古き良き時代、と振り返られるかといえばそうではないことのほうが多い。
未だに仕事の後輩からバブル期の体験を羨ましいと言われるが、
恩恵なんてその程度のことだ。
唯一ありがたいことをあげるとすれば、
あの仕事量のおかげでスキルが備わったということに尽きる。
今では考えられないけれど、本番が練習台だった。
多少のミステイクは許してもらえる寛容さがバブルにはあった。
というより、そこに留まっているわけにはいかないのだ。
<はい、つぎ!>
その渦のなかに濯がれていれば、ふわふわしていてもスキルは上がるしかなかった。
2000年代には想像もつかないことだけど。
林真理子さんはバブル前から今でもしっかりと先導してくださる稀有な人。
一時期拝読が遠のいた時期はあれ、それでも著作はほぼ読んでいる。
作家であり文化人であり経営者でもあり、もうずいぶん灯は遠くなってしまったけれど、
追いかけるには十分に価値がある蛍のような光だ。
新書「成熟スイッチ」を読んで、今日バブルのことを思い出したのは懐かしいからではない。
林さんがあのころを土台にして更に成長されているのを、わたしの元気にしたかったからだ。
才能は劣る。財力も人望も劣る。
わたしは林さんにはなれないのは知っている。
けれども、とぼとぼとでも追いかけているという感覚はそういう存在なしには持ちえない。
とぼとぼ。
上等である。
バブル後は永遠につづく。
袖口の擦れたセーター着て植ゑし苗は林へ森への準備 漕戸 もり
