「笑顔でうしろそり~」
体操のお兄さん②はときどき、さらりととんでもない注文をつける。
え?笑顔?い、今すか?と、返事をする間もなく
顔は天井を見上げてにやけている。
とっさのこと過ぎてうまく変換できない<笑顔>こそ<にやける>に一番近い。
そのうえ、世界一間抜け顔であるのは言うまでもない。
 
不規則な仕事のため、決まった時間にストレッチや運動ができないので
ジムの会員をやめて早数十年。
その後は、不規則に公共施設のジムやプールに行っていたけれど
それも支度や往復の時間が惜しくて、今は一日に30分~1時間を目当てに
自宅でのトレーニングを課している。
さすがに泊まりの場合その先でストレッチはしないけれど、そのぶん翌日にSNSをググり、
テレビ体操を3~4日分プラスして、何とか365日ストレッチ完走を目指している。
完ぺきではないけれど、できるだけ心地いい<いれもの>に体を保つのは、
ただでさえ軟弱な精神を入れておくのに不可欠だ。
暴飲暴食をして<いれもの>に<損傷>が起きると、脆弱な心は数日間<死ぬ>。
もしわたしがどこかの飲み屋で、お酒だけでなくアテと称し
油や砂糖をつぎつぎと摂取しているのを見かけたら、そのときは、良き悪きことの区別なく
数日の<死ぬ>を承知してまでそうしたい理由があるのだ、とおもっておいて間違いない。
 
12月から体操のお兄さん①(おじさんと絶対言ってはいけない。
これはわたしがおばさんの域に達して知った感情である)が欠席されているので、
今は体操のお兄さん②と体操のお姉さんが交代でわたしに指令を送る。
体操のお兄さん①はベテランさんなのだけど、
それゆえ演歌歌手の前振りMCのように(わたしだ)
歌までのイントロいっぱいにお話しされるので、指令以外に無駄話が多い。
(歌のイントロでお馴染みのМC<歌は世につれ世は歌につれ~>も
音楽好きから言わせていただければ邪魔なこともなくはない)
いや、老人ホームや会社の休憩時間に一同揃ってする体操なら和むのかもしれない。
けれど、自宅にヨガマットを引いただけのひとりストレッチでは、
「申し訳ないのですが、すこし黙っててはもらえませんでしょうか」と
つい言いたくなることもある。
ことばというものは、足りなくても満ち過ぎていてもだめで、
要するに塩梅なのだ、と体を動かしながらおもうのだ。
 
体操のお姉さんは(こちらも当然おばさんと言ってはいけない。わたし自身が許せない)
ときどき、お兄さん①②にはない指令を出す。なかでもわたしが気に入っているのが、
曲げたり伸ばしたりするときにおっしゃる
「ぎゅっ、ぎゅっ」だ。
お姉さんに「ぎゅっ、ぎゅっ」と言われると、
曲がらない或いは伸びないからだの部位が、うっかり一周してしまう感覚になる。
お姉さんは、体育の先生のような長いトレーニングパンツをお召しだから
それで決定的に、このお姉さんは実演のお姉さんとは違うということがわかるのだけど、
願いが叶うなら、ときには実演のお姉さんとおなじように短パンとタイツで登場願いたいものだ。
なにも自ら年長感を醸し出す必要などない。
それはわたしがこのお姉さんに近い年齢だからそうおもうのだけど。
わたしだって短パンを履いて堂々とストレッチしたいのだ。

そのためには体操のお姉さんに率先してもらわないといけない。

 
さて、体操のお兄さん②の「笑顔でうしろそり」にもどる。
お兄さん②のキーワードは<笑顔>である。
三名の体操の司令塔のうち、比較的激しい運動を担当されている体操のお兄さん②。

舟を漕いだり鳥にさせられたり、わたしたちは忙しい。

そして決め手は<笑顔>である。
舟を漕いでも、鳥のように大空を羽ばたいても「笑顔で」とお願いされる。
おかげですっかり笑顔が得意になってしまった。
でもこれは、先に挙げたように世界一間の抜けた笑顔なのだった。
どのような体勢でいようとも、急に「笑顔で」と言われて
秒でできるようにはなったけれど、どこかにやけているような
なんとも言えない顔であることはどうぞ知っておいていただきたい。
なにしろ365日の日課なのだから、もう染みついて直しようがない。
ごめんなさい。
先に謝っておきます。
 
 
  傘さして凌げるやうな寒さにて待つストーブの入切ねむる    漕戸 もり