西友がクローズして二か月半。
近隣のスーパーは大繁盛中である。
ひさしぶりに買いものに出かけたのに、西友がなくなった直後とあまり変わらない混雑。
年末年始の大売り出しやAmazonなどで、食品は買い過ぎているのと
この時期は宴席などで家人もわたしも家で食事をしないことが多く、
しばらくは買いものに出かけなくてよい。
けれど、パンやミルクのようにじわじわと欠けていくものについては、
ないと困るというわけでもないのに、<足りていない>感が半端ない。
パンの代わりにご飯でもパスタでも冷凍うどんでも(今なら餅ですら!)
豊潤にあるキッチンに、<足りていない>気持ちを抱くなんて、
なんとせせこましい人間なんだろう。
絶望的である。
そのくせ美食にはまったく興味がない。
どうしようもない小市民っぷりである。
写真は、精算を待つ長い長い列のやっとレジがみえてきたあたり。
右側に焼酎とワインの陳列棚がある。
列を待っていると、
ひとりの初老の男性が紙パックのいいちこをひとつ、
列をぬって自身の買い物カゴに入れいった。
初老の男(A)の後ろにもまた初老の男(B)がいた。
B「おい、いいちこ20のほう持ってきたか?」
A「おう。20だよ」
B「よし。ならいいわ。いいちこ25は不味いでよ」
列に並んでいるだけでほかにすることもなかったので、
ABの様子を観察していると、ふたりは友人同士というより
Aが新参者でBが彼の生活を手ほどきしているようにも見える。
近隣には高齢者施設やグループホームが点在するから、
こういった、明らかに家族ではなさそうな高齢者が少人数でいる光景はよくみかける。
まあ、関係性はなんだっていい。ここで重要なのは
<いいちこの25は不味い>
ということである。
言うまでもなく20と25は度数の違いであるし
20はロックで25は割りが美味い、ということも知っている。
もしBに<ロックで飲むのだから当然20だ>という信念がみなぎっていたなら
<そうでしょ、そうでしょ>と賛同しているだろう。
でも、Bはつづけて言うのだった。
B「900にしとけよ。湯で割るんだで。もつで」
(名古屋弁解説:900mlにしておきなさい。湯でわるのだから。なかなか減らないから)
ふむふむ。
Aはもしかして糖尿病かなにかで、それを心配したBが
すこしでも度数の低い焼酎を勧めたというわけか。
それならばわかる。
でも、そうではなくて単純に
<いいちこの25は不味いから20>ということであるのなら、
ほおおお。
これは一度並べて検証しなければならない、とおもったのだ。
それぞれ別々にいただくことはあっても、
いいちこの20と25を並べて飲み比べなどしたことはない。
これは、チョコレート好きがカカオのパーセンテージが違うチョコを
食べくらべるのと同じくらいたいせつなことである。
チョコレート好きはチョコレート好きを名乗るために。
酒好きは酒好きを公言するために。
列に並ぶ、というときは五感が澄んでいる。
ただ列の前の奥さんの髪の縮れ毛を数えているわけではないのだ。
こんなふうに今日は、
もしかしていいちこの可能性をみつけるきっかを得た。
情けないことに、小市民っぷり爆裂である。
憧れの無頼も春も列の先 漕戸 もり
