短歌や俳句を詠む前は詩や短い小説を書きためていた。
そのうちのいくつかは、一発録音、つまりノーミスで読み込めるくらい
さらに凝縮したものをYouTubeにアップしている。
中の一篇に、恋人同士がセックスをしつくしたあと
お腹がすいたから焼肉を食べにいくシーンがある。
焼肉という食事スタイルは、明るくて開放的な印象もあるけれど
肉とか血とか生臭さとか、それに加えて
炎とか煙とか焼くとかの粗野な印象も相まって
どうしても欲望が剥きだしになってしまう生々しさがある。
では、夜景が美しい高層ビルの一室にある焼肉店の
無縁ロースターのうえで上品に肉を焼いたとしたらどうだろう。
生っぽさは薄まるどころか、かえって血の匂いすらしてきそうなのだから、
これはもうどうしようもない。
焼肉を食べている男女(男男でも女女でもいいのですが)が
恋人ではないにしろ限りなく親密にみえるのは、
焼肉という食事が欲望を満たすのに
もっとも単純でわかりやすいスタイルだからだろう。
男女(繰り返しになりますが、男男でも女女でも構いません)のあいだに
真の友情が成立するのか、というのは永遠の問いではあるけれど、
概ねどちらかが感情をコントロールしているとしても、成立するような気がする。
そもそも結婚してしまえば、夫(もしくは妻)以外の異性(場合によっては同性)
の親しいひとはどう頑張っても恋人未満のはずなのだから、
ここは、成立しますよと宣言しておかないとまずいだろう。
サシで焼肉を食べに行ったことのある男ともだちは数少ない。
いるとしても、どこの居酒屋も定食屋も満席で入店できなかったとか、
どちらかが焼肉店の株主優待券などを持っていたとか、
このような(仕方がない)ときにかぎられているようにおもう。
こうゆうときの焼肉は、不思議と生々しさはなく
いくら血の滴るようなレバーや、油で燃えるホルモンを噛みちぎっていても
欲やそれに伴ういやらしさもあっさりとしたものとなる。
けれども、だからといってなにもわざわざサシで食べにいく場所ではないのだ。
ぬる燗と蕪煮と男ともだちと
(2022年11月13日 中日俳壇 高柳克弘選 漕戸 もり)
高柳氏の総評には…
「ぬる」の一語が、二人の間柄をも暗示しているようだ。
「蕪煮」の透明感も手伝って、詠み口が軽やか。
…とあった。
ともだちなのだから、
できるだけ簡潔な組み立てと名詞だけで表現したい、
という気もちがまずはじめにあり、そこから単語と語順を組み立ててみた。
ただし。
先述したように、既婚者の場合異性のともだちは成立しますよ、と
声高に宣言しておかないとまずいだろ感をすこし混ぜ込んでおきたかった。
二人の間柄をも暗示。
うひょ。
まずいだろ感、出てますでしょ。
