いいものをすこしずつ揃えた既成のおせち料理を、お取り寄せするようになった。
これに便乗するようにと言えば、聞こえは悪いのだけど、
義母が「新年のお祝いだから、すきなものを選びなさい」と言ってくれたので、
あざす、と素直にお受けして、パンフレットを捲っているわけである。
和洋中いろいろある。
けれど、それを吟味して選ぶのは野暮というものだ。
なんといってもおせちは、ただそれだけでお酒の良き相棒なのだから。
極端なことを言えば、目をつぶって捲ったページに載っているものでいい。
それでも、年末の大掃除中に、宅配業者から
明日おせちを届ける、という在宅確認の電話があると
たしかに、特別な日(元日)がいよいよ来るのだという
前触れのようで、なかなかいいものだ。
それにしても上は10万円代のものから、下はおひとりさま用のものまで、
おせち料理業界の創意工夫は涙ぐましい。
年末年始というだけで、敢えて味を濃くして保管しておくおせちは
雅ではあるかもしれないが、時代にそぐわない。
そもそもじっと家になどいないのではないか。
もし家にいたとしても、箱根駅伝が放送されるころには、
お正月とはまったく関係のない、ふつうどおりの食生活に戻っているではないか。
お酒を嗜むわたしでも、2日目に出てくるおせちではお酒がなかなかすすまない。
と、ここまで引っ張っておきながら、まだどれにしようか決めかねている。
おせち料理というのは、
キリスト教徒ではないのに、しっかりこだわって予約してしまう
クリスマスケーキと似ている。
野暮だわ、とわかってる。
何事もわかっててやるほうがたちが悪い。
目をつぶって捲ったページのおせちを選べたら、どんなにすがすがしいだろう。
そんなことをかんがえているのが、単純にたのしいのだった。
正体を暴露して佳いおせちかな 漕戸 もり
