いつのまにやらおせちの予約の時期。
長年おせち料理を手作りしていた義母が、
コロナ禍で実家にひとがあつまることが難しくなったことや、
なにより、手間のわりに義父とふたりではたべきれないし、
おせちの甘辛さが、
塩分の摂取を控えている食生活に合わないこともあって、

いいものをすこしずつ揃えた既成のおせち料理を、お取り寄せするようになった。

これに便乗するようにと言えば、聞こえは悪いのだけど、

義母が「新年のお祝いだから、すきなものを選びなさい」と言ってくれたので、

あざす、と素直にお受けして、パンフレットを捲っているわけである。

和洋中いろいろある。

けれど、それを吟味して選ぶのは野暮というものだ。

なんといってもおせちは、ただそれだけでお酒の良き相棒なのだから。

極端なことを言えば、目をつぶって捲ったページに載っているものでいい。

それでも、年末の大掃除中に、宅配業者から

明日おせちを届ける、という在宅確認の電話があると

たしかに、特別な日(元日)がいよいよ来るのだという

前触れのようで、なかなかいいものだ。

それにしても上は10万円代のものから、下はおひとりさま用のものまで、

おせち料理業界の創意工夫は涙ぐましい。

年末年始というだけで、敢えて味を濃くして保管しておくおせちは

雅ではあるかもしれないが、時代にそぐわない。

そもそもじっと家になどいないのではないか。

もし家にいたとしても、箱根駅伝が放送されるころには、

お正月とはまったく関係のない、ふつうどおりの食生活に戻っているではないか。

お酒を嗜むわたしでも、2日目に出てくるおせちではお酒がなかなかすすまない。

と、ここまで引っ張っておきながら、まだどれにしようか決めかねている。

おせち料理というのは、

キリスト教徒ではないのに、しっかりこだわって予約してしまう

クリスマスケーキと似ている。

野暮だわ、とわかってる。

何事もわかっててやるほうがたちが悪い。

目をつぶって捲ったページのおせちを選べたら、どんなにすがすがしいだろう。

そんなことをかんがえているのが、単純にたのしいのだった。

 

 

    正体を暴露して佳いおせちかな     漕戸 もり