国葬の影響で、東京に送った書類がまだ届いていない。
先日、UKでのエリザベス女王の国葬があったばかりなのでどうしてもくらべてしまう。
いや、ひとの命の価値はいかなるひとでも基本的には平らかとおもっているので、
こちらが見劣りがするだとか、あちらは格が上とか、そういうことを比較しているのではない。
くらべられているのはわたしたち国民である。
このことをずっとかんがえている。
もっともっと充填しなければならない事柄があることぐらい、
生まれた時からマスクの日常にいる3歳の子どもでもわかるだろう。
元首相はこれを望んでいたのだろうか。
お望みだったなら、もうその時点からわたしたちは見誤っていたのだとおもう。
まっすぐに見えるような道が、微妙に左右に反れていた。
左にも右にも。
 

今回の国葬費用の16億6000万程度の、程度、が気になる。

その、程度、は我が家の一年の生活に必要なお金の何倍にあたるのだろう。

1円ですら、程度、だなんて言って欲しくない。

それでも、(わたしたち)は間違っていた、と言うわたしの声はとてもちいさい。

整備され一般献花にならぶ弔問者は、当然ながら喪服に身を包んでいるので、

この列は不気味に、濃く太く力強くさえみえる。

この映像を消して、目の前の洗濯物の山や書きものやAmazonタイムセールを眺めたとしても、

列は途切れないということを、知っておかなければいけない。

間違っていたのは(わたし)なのだろうか。

このことをずっとかんがえている。

わからなくなってきたということが、やっとわかりかけている。

 

 

   秋簾遮つた熱知らぬまま   漕戸 もり

 

 

追記 宮沢章夫さんの死をまだ引きずっています。