余興もぽつぽつご披露していただけるようになって、
しみじみとうれしい。
この頃どういうわけか、
プロではない普通のかたが演奏する楽曲に、深く感動してしまうときがある。
だれかのためにとかその会のためにとか、そのような熱意には
ずっとまえから毎度心温かな気持ちにさせられていたけれど、
そういうことではなくて、やっぱり不安だったのだろう。
感情や行動やいろいろなことが見えにくいので、
なんでもかんでもを、自分の感性や勘で生きていたような数年間。
隣人をのぞき込むこともできず、のぞかせることもしないで
頑なにひとり。
頼りの本や映像は、いつもどこかに偏っていて気をつけないと反れてしまう。
思いつめたような出来事がふえているのは、その結果かもしれない。
人が…たとえば居酒屋にひとがもどってきたのもそうだし、
久しぶりに旅に出かけようとおもうのもそうだし、
日常は、そういう気配から支えてもらっていたのだった。
 

久しぶりだから、こわごわとおもてに出てきたから、と言いながら

すこしミスタッチするくらいがちょうどいい。

気配がただただうれしい。

このことに慣れないでいたいとおもう。

 

さてさて。

絨毯でここはどこかと言い当てられる。

だからといって特典はない。

そんなことより、わたしの足が映ってしまった。

スエードのパンプスをおろしたら、冬まであとわずか。

底からあたたかくして迎えたい。

 
 
 スエードという語を身に着けて秋の水溜まり大股で飛び越す  漕戸 もり
 
 句も季節も跨ぐ。どんどんまたぐ。颯爽と跨ぐ。