玄関のチャイムが鳴ると慌てて玄関に走ったり、物音を立てないよう
玄関口ののぞき穴から誰が来たのかを確かめに行っていたころが懐かしい。
今チャイムが鳴って急ぐ先は、リビングにある玄関のモニター画面。
訪問者を確認してから通話ボタンを押しそこで初めて用件を尋ねる。
大学時代のある年の冬、お歳暮の時期に宅配便のアルバイトをした。
営業所に行って担当地区の荷物を自家用車にのるだけ載せ、
ひとつ配達完了ごとにいくらか貰えるという歩合制だった。
確か制服も支給されなかったので、汚れてもいいジーンズと防寒着で
住宅地図を傍らに在宅していただいていることだけを願いながら車を走らせていた記憶がある。
(当然訪問しても不在で持ち帰るとアルバイト料には反映されない)
なんともおおらかな世の中だった。
一か月ほど地域を回っていると、
お届け先に住んでいるひとの家族構成や職業などもなんとなくわかってくる。
いつご訪問しても留守なのだけど、ある日偶然在宅をされていた家主に、
「いつも再配達していただくの悪いから玄関先に置いておいてください」と言われてからは、
率先してそのお宅の荷物を引き取ったものだ。
今なら一軒家でも集合住宅でも、故障していない限り玄関のチャイムというものはある。
なんなら集合住宅の場合、コンシェルジュなるものが在中していて荷物を預かってくれたり、
宅配ボックスというものもあるので、家主と対面しなくても荷物はちゃんとお届けができそうだ。
チャイム。
当時はついていない家が随分あった。
わたしの担当エリアはマンションよりも一戸建ての多い地域だったから、
余計にそうだったのかもしれないけれど、チャイムがない場合、玄関の扉をノックしながらも
「こんにちわ~。荷物をお持ちしました~」と声を張り上げて気づいてもらわないといけない。
これがなにかと気を遣う。
ご近所様にご迷惑にならないようにだとか、もし午睡でもされていたら起こしてしまわないだろうかとか、玄関扉をノックしたいのだけれど、庭にドーベルマンのような大きな犬がこちらを睨んでいて扉にたどり着けないだとか、毎日出たとこ勝負のような緊張感すらあった。
劇団に入っていたので、勤務時間も比較的自由で欠勤も緩かったこのアルバイトは、短期間であれ誠に都合がよかったから、いやいやながらもお荷物を配っていたのだとおもう。
でもコロナ禍以降、特にAmazonに多く見られるのだけれど、以前のわたしのように、
自家用車に普段着で届けてくれるお兄さんや、国籍不明の外国のかたをみかけるようになった。
これはあのときと似ているようにみえるけれど、なぜかおおらかな世の中とはおもえない。
どちらかといえば切羽詰まっている感が半端ない。
先日アマゾンの不在表が入っていたので、すぐに表記の携帯電話に連絡すると
携帯の先方名表示が某クラブ(運動クラブではなくてね)だった。
しばらくするとTシャツとジーンズ姿のピンク色の髪のお姉さんが荷物を届けに来てくれた。
当然携帯電話も交通手段も自前なのかと思ったので、先ほどお電話した携帯に
お姉さんのお勤め先?が表示されたので、
できればアルバイトのときは表示名を替えたほうがいいと言ってみた。
すると「まじっすか?知りません。見せてください」と驚くので
彼女の目の前で電話をかけてみた。
クラブ ○○#$%&"#
「ひゃ~なんでしょう。ちょっと事務所(どこの?(笑))に問い合わせてまた折り返します!」
とピンクのお姉さんは慌てて帰っていった。
彼女の携帯電話はれっきとした事務所(もはやこれすら怪しい(笑))のもので、
携帯番号が前の登録者のままであったらしい。
ほんとうかどうかは闇のままだけど、今までそのまま使っていたことを考えると、
逆に世間の無関心さが気になる。
宅配便の話となると、書き出せばいろいろなネタがあるのでつい脱線してしまう。
そもそも今日は、さきほど荷物を届けてくれた宅配便のお兄さんが、
インターフォン越しにも玄関越しに見ても見事にダルビッシュ投手だったのだ。
彼の傍らには大きな台車があり、わがマンションの住人にいかに短時間で荷物を届けるかに
集中しているようにみえた宅配便版ダルビッシュ投手は、
「うっす」(承知しました)とか「あっす」(ありがとうございました)とか短く言うと
即座に次のお宅へと向かっていった。
届いた荷物は3つあったので、受け取るときによろめいたりすればよかった、などとおもいつつ、
こうしてキーを叩いているあいだにもときめきはつづくのだ。
ときめきはこれくらいがちょうどいい。
さて、葡萄でもたべますか。
好きなのに嫌いで了る葡萄哉 漕戸 もり
