連れ添った家族ではあるけれど、
顔も見たくない、声も聞きたくないときがある。
繋がりっていうほど、太くて手に余るような絆もない。
だって!
そもそも血の繋がりすらないのだから、どうして一緒の家に住んでいるのかがよくわからない。
そういう相手と口論になると、世界の終りのような気持になる。
相手を責めるのではなくて、ああなんて自分は人を見る目がなかったのかと項垂れるのだ。
かつて、死んで欲しいと心底思っていたひとがほんとうに死んでしまったことがある。
毎日毎日、死んで欲しい。いなくなって欲しい。と神様らしきものにお祈りをしていた。
そして、欲しい、と思ったものを手に入れたとき、想像もつかないような泣きたさが
(これもしかして死ぬまでつづくんじゃね)くらいの重たさで
毎日毎日毎日…今も、わたしを蝕んでいる。
 
だから、だれかに対して(それは亀や紅葉や茨の実にですら)いなくなって、と
願うことはなくなったけれど、かわりに逃げ出すことをおぼえてしまった。
 
本の匂いと仕事の資料に囲まれた乾燥した部屋に逃げ込んで、扉がゆがむほど音を立てて閉じ
昨日から仕込んでいた揚げたての唐揚げを食べることもまたあるのだ。
はぁ。
 
それでも死ぬときは、状況がどうであれ「ありがとう」などと言って息を止めるのだろうか。
そのとき人は誰にむかってありがとう、って言うのだろう。
おそらく、誰、ではなくて、神様らしきものに言うのだろう。
唐揚げは此処にあっていいのだろうか。
神様らしきものに聞いても、早くに寝ているだろうし(勝手に年寄りだと推測している)
暫くはわからないままだ。
わたしは頭が悪いせいか、自画自賛の唐揚げにかぶりつきながらしあわせとおもうのだった。
もっと化学を勉強しておけばよかった・
※化学以外は及第点だった。こうおもう時点で重症なんだけど
 
 

 
 
     竜胆といふ音楽がある世界    漕戸 もり