2020年のコロナ禍以降、夏祭りの仕事が簡素化されたので、
毎夏にどこかしこのお祭り会場で着ていた浴衣をもう三年も着ていない。
父がアパレル関係の仕事の、なかでも着物を取り扱っていたこともあり、
実家には着物収納専用部屋があった。
今では母も高齢になり、家紋の入った数枚と訪問着を残すのみで、方々にお譲りしてしまった(振袖すらもびっくりマーク)ので、実家の桐ダンスにはUNIQLOのシャツや母の手編みのニットが心細げに保管されているのみである。
それでも、幼いころから馴染みのある着物ではあるので、20代からつづく毎夏のお祭り的な仕事に浴衣を着ることはちっとも嫌ではなかったし、なんといっても浴衣はわたしでも手の届くお値段なのと(仕事ですので、毎夏同じ柄ゆきの浴衣を着てゆくのもはばかられるのですあんぐり)、着物のように保管に桐のタンスが必要というわけでもないので、帯や帯紐を工夫しながら毎年買い足してゆくのも楽しみのひとつだった。
そういえば一時期仕事でもないのに、お盆休みにお墓参りに出かけるだけに浴衣を着て出かけたこともあった。汗だくになりながら、あのころはまだそういう余力が漲っていたのだと思う筋肉
さて。
先月の中日短歌会で、受付をされていたコスモス短歌会所属の歌人三木裕子さんがお召しになっていた絞りの浴衣がとてもお似合いだったので、思わずお声をかけさせていただいた。
細かな柄ゆきが、華奢な三木さんにぴったりの絞りの浴衣だった。
最近は若者を中心に浴衣の着方も様々で、毎年新種の浴衣小物をみつけるたび驚きの連続であったが、そんなものは身に着けなくとも、涼しげにさもゆったりと着こなしていらっしゃったのが印象的で、人生の先輩にはとてもかなわないとつくづく感じたのだった。
着物も浴衣も年齢それぞれに魅力的にみせてくれる衣装ではあるが、肩の力の抜き加減はとうてい若輩者には出せないだろう目がハート
汗だくで浴衣を着るという時点で自分はまだまだだと思う真顔
 
今日は、浴衣美人でもある歌人三木裕子さんの第一歌集「ひかりの花束」(青磁社・2021年発刊・解説高野公彦)を読む。
ご家族のこと、お仕事のこと、旅先でのこと。別れや出会いや病や…人生にはハプニングと呼ぶには深刻過ぎる「事件」が訪れるのだが、わたしが惹かれたのは三木さんの目を通すと特別なものに見えてくる「日常」めいた歌だ。
 
 陽の色となりて熟れたる柿の実を夫の帰宅に合はせて剝きぬ   p14
   雪よりも白き牛乳温めて帰り来る子の靴音を待つ       p30
 聴診器くびにかけたるまま歩くドクター少し太りて四月    p41
 京水菜あらふ手元の冷たくて屋上タンクの水に秋来ぬ     p48
 
どの「日常」にも主体の息遣いが感じられる。
そしてその息は、荒くもなく乱れることもなく「生きる」故のものとして、静かに静かに読み手の耳に届く。
隣にいただけでは知りえないこの息遣いを、読み手に引き渡してゆくのが、三木裕子さんの歌の醍醐味だ。
 
 掘りたてのたけのこ白き肌みせてやや生臭き匂ひを持てり    p51
 揺れやまぬ木々の動きに風の腕見る思ひせり台風近し      p53
 プロ野球開幕すれば挨拶のやうに勝敗確かめあひぬ       p109
 やはらかく秋は耳からはじまりぬ夜半に気づきしこほろぎの声  p130
 
「日常」の狭間に「事件」が起こるのか「事件」の狭間に「日常」があるのかわからないが、このようにいくつかの「日常」の風景を取り上げただけなのに、その前後に起きている「事件」が読み取れてしまう。なぜなら、主体の息遣いがごく微量の波を立たせるのだ。そして臆することなくそれを読み手に絡めとらせてくれる。生臭き~、振れやまぬ~、確かめあひぬ、夜半。
言葉にふくまれる不穏な影を歌人は知り尽くしている。
 
   部屋にひとりぽつんと座る食べかけの忘れ去られたりんごのやうだ  p152
   たらの芽の刺を気遣ひ包みくれし大きてのひら今年はあらず     p157
 日のひかり部屋の机にまはり来てはづしたままの腕時計あり     p205
 ひとり居となりたる母の待つ実家ひろびろとして塵ひとつなし    p221
 
生きている限り今こうしているあいだにも、吸いそして吐く息があるのだが、生きるためだけでなくふと感情を持て余してつくため息というものがある。そのため息が「事件」よりも「日常」にすぐれた効果を持つのも忘れてはいけない。それを短歌にふくめてゆく力技を、ふんわりとみせてくれるのが三木さんの歌であり、優れた歌人の特徴でもある。
素敵な歌集でした。
 
 
いつかは歌集かぁ。
先は長いのぅ指差し指差し