新型コロナウイルスの新規感染者数の増加が止まらない。
緊急事態宣言が出ないということは、国や地方からの支援金もないということだ。
イベントは減り、企画は通らず、すこしずつ動き始めた仕事も留まったままである。
旬を切り取るような仕事なので、ある程度放置していたものを再度動かすときは
また一からのスタートとなることが多い。つまり、そこにはまた経費がかかる。
焼け石に水のような支援金ではあったが、そういうときに補填しながら細々と耐えてきた。
でも今回はコロナで仕事が減ろうと、自身がコロナに罹患して仕事ができない日々がつづいても、
ひたすら先細るしかないのである。
2019年からのコロナ禍で、もしかしたらこれからが本物の非常事態なのかもしれない。
腕のいい大工やすし職人も、活かす現場や喜んでくださる人がいなければ、
単なる不愛想で偏屈でただの酔っ払いの好色(イメージ
)でしかないのだ。
10㌢ヒールのパンプスに慣れていた外反母趾の足は、外反母趾はそのままにコンバースのなかで甘やかされ放題で、なんとなく幅広にサイズアップした気がしないでもない。
先日、飲み会の二次会で鶴舞線沿線の名古屋市東部にあるいわゆる(スナック)という場所に行った。
そこにはママさんらしき妙齢な女性とアルバイトの女性二人がいて、ママとアルバイトの一人は二組の先客のお相手をされていたので、もうひとりのアルバイトの女性がわたしたちに付いた。
「いただいていいですかぁ」
出た出た
ここでは、てめえの酒はてめえで払えなどとは通用しないのだった。
わたしたちは一次会で盛り上がった熱を冷ますように静かに飲んでいたのが、女性は逆に静寂が心配になったのか私たちに向かって、自身の年齢は27歳で、先月出産したばかり、旦那は普通のサラリーマン、夜の仕事には賛成で子どもは彼女のご両親が喜んで見てくれている、というようなことを熱弁した。そして、のどが渇いたのか
「もう一杯いいですかぁ」
と、なんと酒類を替えて飲みだした
「あのね。せめてわたしたちが二杯目いってからにしていただけない?」
と、その店に連れて行ってくれた仲間を尻目に抵抗してみたが、
「しゃーせん(すみません?)」の一言で豪快に飲み干されてしまった。
やがて先客の二組が帰ってしまうと、その相手をしていたママさんともうひとりのアルバイト女性が呼んでもいないのにこちらに参戦。
「いただいていいですかぁ」×2


昭和の時代ならまだわかる。
既に平成を通り越して令和なのに、この世界、特に名古屋市郊外のこういうお店の垢ぬけなさを目の当たりにして泣きそうになった。
店を出て私が友人に小言を言ったのはいうまでもない
がしかし、コロナ禍なのだった。
彼女たちも今日の糧を、ずる賢く汚らしく逞しく搾取しているのだと思うと、
もしかしてそれは合法なのかもしれないのだ。
そこに行くか行かないかの選択肢はこちらにあるのだから。
そんな不安なコロナ禍に、暗黒面
にいかないように黙々と心身を鍛えるのに必要なのが、
ヨガマットと竹。
一日最低30分のストレッチと、英会話や映画などの動画を観ながら青竹踏みをする(基本、動画は青竹踏みをしながらじゃないと観てはいけないマイルール
)ことは365日欠かさない。
長続きしないと意味がないので、仕事や都合でどうしてもできないときは翌日に二日分を実行して、一週間の帳尻を合わせればいいという緩いルールも作った。
これもそれも、「いただいていいですかぁ」と無暗にねだらないためだ
ねだるのは、自分が尊敬する男や女だけにしたいものである。
ウミガメの大量死記事手に余る 漕戸 もり
人生には助けられない命のほうが多い。
せっかくの人生なのにいちいち悲しい。
