忘れていたわけではないけれど、短歌ホリック⑧。

自由とはこういうことだニヤリ

※⑧の特集は、各歌人が選んだ書籍を下敷きに詠んだ連作が中心となっているが、わたしが読んでいる本と読んでいない本が混在しているので、書籍のことは考えず、単純に短歌そのものの感想を述べています本

 

 換気扇回せば細く鳴る扉一人暮らしも七年を経て

 鱗粉をこぼしつづけて透けてゆく翅のようなり白髪ほつほつ

     (「「ホバリング」 辻聡之 )

 

 ホバリングとは停止飛行のことらしいけれど、連作を読み終えてみると、タイトルに総ての歌が束ねられている印象がある。空中で停止するのは、遠くから眺めていれば、雲のように浮かんでいるだけなので、なんてのどかな風景かと感じそうだ。でも近づいてみると、けたたましい音(イメージ)もさることながら、進まず退かずただ其処に居る(或いは浮く?)ということがいかに大変なことかとわかってくる。そのなかで、特にほのぼのとやわらかく、なんの悪意もない二首を選んでみた。

一首目。七年の一人暮らしを象徴するのは、換気扇だ。ソファでも、ダイニングでも椅子ですらない、大抵台所が備わっていれば換気扇は付いている。裏を返せば、換気扇があれば自然と台所が浮かび上がってくるのだから、当然そこに暮らしが営まれている。追い打ちをかけるように、その換気扇を回すとどこのかしれないが、扉が鳴るのだ。立て付けが劣化しているのだろうか、そして七年余をそこで過ごしているということへ繋がってゆく。

なんだか、英語の例文のような短歌だ。説明文が後ろへ後ろへ掛かってゆく。

たとえば。。。

I saw you walk hand in hand with a cute girl.

わたしはみた→あなたを→歩いている→手を繋いで→可愛い女の子と

 

こんなふうに辿ってみると、

 

換気扇(生活感)→細く(大豪邸ではなさそう)→鳴る(、のだから新しくはないだろう)扉

右矢印一人暮らしは七年

 

説明が後ろにくることで広がりを見せるのだが、明るい場所へぱあっと向かうというよりも、このさき八年目、九年目、、とほころびながら過ごしてゆくのだろう、という淡々とした心情が、連作のタイトルに集約されてゆく。

鱗粉を~。前出の歌と組み立てられ方は違うけれど、生活や月日の過ぎゆく雰囲気がやはり淡々と語られている。加齢によって、黒髪が抜け落ちたあと白髪が生えてくるのだけど、この歌を素直に読んでしまうと、髪から黒い色素が鱗のように剥がれて、本来の白髪に戻るとも読めるので要注意だ。黒に染めていた髪から染料が抜け白髪に戻っていくと読めば、抜け落ちるのは「染料」で「自ら」ではなくなってしまう。そうなると解釈がかわってしまう。蝶が果たして飛ぶたびに鱗粉をこぼし、終いに翅が透けるのかどうかは不確かだけれど、イメージとして、「透けてゆく」という言葉や白髪の「白」から、生きることは死に向かうことだと改めて思うのだ。停止飛行も、ここではかなり低くなっているのだろう。低い位置で留まっていようと、とりあえずまだ生きていることにかわりはない。

辻さんの歌は、一環として淡々としているところに持ち味がある。良いとも悪いとも言っていなくて、NOもYESもない。主体は若いんだか年寄りなのかもまるでわからない。

若年寄なのか、年寄りの若作りなのか、そういえば当の辻さんご自身も妖精チックな雰囲気が漂う。

 

  おとなには屈しないといふ顔のままおとなになつてゐる辻聡之

      (「リリカル・アンドロイド」 荻原裕幸 )

 

そうそう。こんな感じうさぎのぬいぐるみ

 

他に惹かれた歌をご紹介しておきます。

 

 いいおじさん、悪いおじさん、どちらかといえばいいおじさんの反復横跳び

 もうずっと長い余生の中にいるような気がして食むフォッカチオ

       (「ホバリング」 辻 聡之 )

 

ホリック、まだまだ読んでいきます。

 

 

   サングラス似合ふも似合はないも嫌

          漕戸 もり