父の七回忌。
だだっぴろい畳み敷きに、つい寝ころびたくなる名古屋の中心部にあるお寺様。
ここに父(の骨)はいる。
わたしは神道(の家のひとに嫁いだ)なので、仏教即ちお寺様には随分縁遠くなってしまった。
神道は、祭詞(仏教でいうところのお経)も現代語?でわかりやすいので、その後の霊祭(いわゆる何回忌に値するもの)でも、故人を懐かしみながら、わが人生を振りかえる貴重な時間となる。
父は仏教徒というわけでもないが、いわゆるお東さんのお寺に納骨されているので、そのお寺のお坊様に七回忌の念仏を唱えていただいたのだが、金額にして二分千円相当のお唱え料のうち、意味が分かったのは、南無阿弥陀仏、だけだったのがせつない汗うさぎ
仏教というのはどこか生々しく、怪しく、特に東本願寺は派手で、すっかり神道に染まっていると、絶対仲良くなれないクラスメートのようだ男の子
名古屋の由緒正しいお寺様の何代目かという知人がいるのだが、手首には金のロレックス、車はヨーロッパ製(檀家様のお宅へ行くときは軽自動車と言っていた)、という豪華さで、きっとわたしの仏教のイメージは彼の影響も多分にあるのだろうが、やはり最後まで仲良くなれないままなのだろう。
それにしても、父の納骨先のお寺様の畳み敷きは気持ちいい歩く
父の七回忌の日は、お坊様の講話もあって、一般の参拝者もたくさんいらしていたので、畳に寝転ぶことはできなかったけれど、ここには母方の祖母も祖母の妹も眠っているので、月命日やお盆、年末年始などたびたび訪れて、チャンスがあればごろんと寝そべることもあるカメ
父は仏教、わたしは神道、と言ってはいるけれど、これは「キリスト教で結婚式を挙げた」「神前で挙げた」くらいの違いでしかない。基本的に両者とも無宗教なのだ。
なのに、死んだら別々の道が拓けているようで、それは悪くはないのだけど、なんだかとても寂しい。無宗教なら無宗教の弔いの仕方があるといいのだが、そのあたりは曖昧で、なかなかそういう話を聞かない或いは浸透していないところをみると、やはりとても難しい問題なのだろうと思う。
大木の根っこに骨を蒔くという埋葬も流行っているらしいが、結局それもこれも残された人々の都合に依って変わってゆくのだ。また逆に、自分のこととして、宗派はお東さんではないけれど、名古屋のど真ん中ににある広々とした畳み敷きが気に入って、このお寺さんに文字通り骨をうずめようと思う人がいても全然おかしくない。でもこれも、もしあったとしても次へ繋がっていない。
七回忌のつぎは十三回忌だ。母が、法要のあとの食事が終わって「つぎはわたしがどうなっているかわからない」とぽつり呟いた。
ここから六年後。
母だけでなく、そこにいる全員が自分自身がどうなるかわからない、という顔をしていた。
 
お父さん、いつもありがとう。
一生懸命生きています。
 
  梅雨入りを先告ぐひとの口匂ふ
    漕戸 もり