先日の続きと言ってはなんですが、

顔マスクゲホゲホの対義語がこれまた秀悦だったので書いておこうとおもう。

 

 ラガンと言うそうな。

裸眼目、眼のことではありません。そのものずばり裸顔真顔真顔真顔びっくりマーク

素顔、すっぴん、となどと穢れない気もちで語っていた頃が

眩しくおもいだされます(遠い目)。

 こちらもまた、短歌や俳句にするにはハードルが高そうダウン

 

 さて、本日も短歌ホリック⑧を読み進めていきましょう。

 

 柔軟さのない人間は歪むよと口尖らせる母の陽だまり

 お客様の苦情の電話にぺこぺこと謝る父のシャツの脇汗

    (「サイレン」 小坂井大輔 )

 

 彼がどの小説をピックアップしているのかは、短歌ホリック⑧をご覧いただくことにして、

今回の企画(歌人が選んだ書籍がベースとなっている連作20首)すら忘れてしまうくらい、

いつものちゃありぃさんが此処にいる。

 四千頭身の後藤さんが、一般人であるご家族と出演している某テレビ番組の人気コーナーがある。

後藤父、後藤母、後藤妹は素人さんで、観ているわたしたちとおなじ立ち位置なのだけど、テレビという媒体に晒されると、つくりこんだ芸よりもよっぽど愉快な存在になる。

それはご家族が、視聴者とおなじ立場ということがとても重要で、普通に生きているだけというのがそれだけで味わい深く、微笑ましく、ユニークだということをおしえてくれている。

なんなら、生きていることに勇気が持てると言ってもいいくらいだ。

 ちゃありぃさんの短歌に、小坂井父、小坂井母、小坂井妹は常連で、連作に小坂井ファミリーが登場するのを待ち望んでいる読者も多いだろう。

短歌のなかで小坂井家族は、後藤家族に匹敵するくらい抱腹絶倒なのだが、笑わせようとか、捻った技を仕掛けて驚かせてやろうという意志は皆無である。これが頗る良い。

その証拠に、「あのおもろいおっちゃんいますか?ファンなんでサインください」などと、勢い平和園に駆け込むと、誠に不愛想なフツーのどこにでもいるおとうさんが、鍋を掻きまわしていたりするので注意が必要だ。

 

 手はじめの二首。今回のテーマであるところの某小説が土台にあるので、この歌中のご両親は正確には小坂井家族ではない。が、それをとっぱらってもどうだろう。

この母父は違和感なく、小坂井母であり、小坂井父だ。

「柔軟さのない人間は歪むよ」などと、母が言うだろうか、案外言うんですよね、

フツーの人びとは。

 ちゃありぃさんは、この言いそうもない喋り言葉を、すかさず脳内で文字起こしして歌に取りいれるのが得意だ。地獄耳と言えば聞こえが悪いけど、おもしろがるアンテナはわたしの師匠みうらじゅん様に匹敵する。

 二首目もどうだ。小坂井父(土台の小説は無視します)が、ただ不愛想に電話の対応をしている様子を切り取っているだけなのに、ぺこぺこ、脇汗、を決して逃さない。ちゃありぃさんの地獄眼(というイメージの物体)がここでも冴えわたる。

 

 着ぐるみのバイトの途中で恋人の浮気相手を殴る、熊手で

 俺が失恋したっていうのに無関心なんだな世界はいつも通りで

      (「サイレン」 小坂井大輔 )

 

 小道具の使いかたにも、特徴がある。

巷の歌人先生たちは、お花とかお水とかをよくお使いになりますが、ちゃありぃさんは

そんな手あかのついたものはあまり使わない。

代わりに登場するのが、着ぐるみであり、熊手である。

もっといえば、浮気相手、なんていうのも、題詠に出されたら

どんなふうに取りいれたらいいのかさっぱりわからない、要するに短歌らしからぬ言葉だ。

 この歌には、そのへんの短歌にとってどちらかといえば

「ゴミ」のような言葉で組み立てられていて、

ちゃありぃ短歌のおいしいところが、ぎゅっと濃縮されているかのようだ。

 

 二首目。

家族出て、小道具出て、そして、俺様の登場である。

20首を結ぶのによく似合う 「俺」様は、

ちゃありぃさんがよく使う「わたし」ではないのが胆だ。

ここに、先に彼が選んだ小説の片鱗を漂わせているような気さえさせて、

あの父も母も着ぐるみも熊手でさえ、今回の企画にすんなり着地している。

 

 まあでも。

ちゃありぃさんの短歌って、評なんかしないほうがいいのに、とおもいます。

いや違う短歌は詠んで読まれて一人前なのだムキーッ、と仰るかもしれませんが、

それは、万葉集から今日までのこと。

放置プレイカモン的な短歌が、何でもありの令和に発生したとしても、

なんら問題はないんじゃあありませんか、とおもうのです。

 

 今日はここまで。

まだ続きます目

 

 

 写真は、先日の中日ドラゴンズ、ソフトバンク戦。

ソフトバンクのレギュラーの過半数が育成から上がってきた選手だという。

人生はお金だとつくづくおもう今日このごろ。

八百彦のお弁当、やや美味しくなったような気もしたりしなかったり。

 

 

 水喧嘩胸のあはひに余りみづ

     漕戸 もり

 

 ところで、愛知県の大規模漏水の件、いつのまに消えてしまったけれど、

どうなってるのでしょう。

 おいこら。どこまでも追いかけろよムキー