先日、短歌界の二大さくらこ(正確には故 蒔田先生は さくら子)の

おひとり、嶋田さんとのあたたかなツイートのやりとりなかで、

つい「イケメン歌人」ということばをつかってしまった。

※わたしがです指差し

 

 今、短歌界も映画界もどこもかしこも、セクハラ、パワハラ、#metoo・・・

と騒がしいので、いい加減に言葉を吐けない状況にある。

ふと、人々が過剰に敏感になっているのをおもいだして、

翌日こっそり削除したショボーン

 イケメン、って何気なく言ってしまうけれど、

趣味でも仕事でも言葉を使っている立場としては、

気もちがざわっとしないでもない。

悪気はぜんぜんないし、イケメンの イケてる、には、容姿ではなく

歌人として詠む作品が好ましい、という意味合いなのだけど、

不特定多数が目にするSNSに、いちいち発信者の心情など慮って読むことを

期待するほうが間違っている。

男子が、「イケジョ歌人」などとつぶやいたら最後、忽ち火あぶりの刑間違いなしだ。

何人の処刑者をみてきたことかびっくりマーク

 

 わたしたちはいつのまに一億人総秘密警察のようになってしまった。

そして、こわごわと言葉を選ぶわたしがそのなかに佇んでいる。

 

 女の子なのだから愛想良くしなさい、と何の違和感もなく言われて育ってきたけれど、

それもやっぱり平成~令和生まれのひとが聞くと、ヒリヒリとこころが痛むのだろうか。

そもそも性は、体力的なことはさておき、くらべる基準にするべきではないとの近年の見解が、

短歌や俳句や詩を書くときに(わたしの文才の問題も大いにあるのだけどネガティブ

妨げになることがある。

 昔のドラマや映画で、ひゃっとする忌み言葉が平気で語られているのを観ると、

それがよかったとは言い難いけれど、

今のほうが断然いい、とは言い切れないもどかしさがあるのはなぜだろう。

 

 

 


 アナウンス業が本業なのですが🎤

YouTubeのアップの仕方もよくわからず泣

編集のやりかたも不明なので一発撮りですがニヒヒ

久しぶりにアップしてみました。

 

 先にもブログで吐露しましたが、

5月4日にたいせつな友を亡くしました。

ちょうど修司忌というのもなにかの縁だとおもい、

寺山修司の随想の一部を読んでみました📖鉛筆

 

 心に沁みます。