グランドピアノの箱のような店だった。

客席はピアノの半分を囲むように、壁ぎわに並べられたスツールが10脚と、

珍しくすべて埋まった場合には、それにバーカウンターの手前の3脚を足す。

お酒を飲まない客も多いのは、先代の店主である祖父が珈琲が好きで、

自分が淹れるとき、たまたま来店していた客に、ついでにどうだ、と

きまぐれにすすめていたことに由来する。

 店を引き継いだときに、珈琲をメニューに付け加えた。

元々メニューらしいメニューはなく、珈琲も(ほんじつの珈琲)一択だ。

わたしが珈琲にくわしくないので、同級生がやっている珈琲豆専門店のすすめるまま、

季節によって旨い豆や産地を選ぶから、

ブルーマウンテンがつづいたとおもったら、キリマンジャロに変わったり、

煎りかたもまちまちなので、

好みのはっきりした珈琲通にはいささか不満もあるだろうが

そういう客は自然に足が遠のき、レコードやピアノを聴く、

いやもしかして聴くというのとも違う、

最小限の間接照明と邪魔にならない音楽空間そのものを

求めてやってくる客しか集まらなくなってしまった。

 アルコールも同様で、タンクのメンテナンスが面倒な生ビールはなく、

ビールは瓶の黒ラベルとコロナ。焼酎はいいちこのロックか湯割水割り。

バーボンやワイン、日本酒などは、気が向けば買い出しに行きメニューに載せている。

それはきまぐれが過ぎるので、今では客のだれも期待しないのだが、

メニューに載せれば数日ではけてしまうから、

もっと真剣に経営に取り組めば暮らし向きがよくなるのだろう。

ただそうなると、この店をあける日数を減らして

部屋のなかで本を読んだり或いは書いたり、ネットフリックスで動画を観たり、

腹が減れば調理しないで食べられるもの、果物や野菜が主になる、をつまむという、

今の店を閉じているあいだのすごしかたが、ややふえるだけ、

というのもわかっているので、まあ今のままでいいのだろう。

 火と油がピアノによくない(となんとなくおもう)ので、

店で出す食事はチーズやチップス。ナッツかゴディバ。

こちらも、なにか腹の満たすものはないか、と言ってくる客はほとんどいないか、

ここに来るまえに腹ごしらえをしてやってくるので、問題はない。

 

 コロナ禍の2年半はクローズしていたが、

固定資産税もあまりかからない

古びたビルごと祖父のわたしへのたったひとつの財産で、

1階は午後8時から12時まで営業のジャズ

(といっても前述のとおり、レコードやピアノを聴くくらいの)喫茶。

2階はわたしひとりが暮らすにはちょうどいい

2LDKの住居となっていて、

何とか生き延びてこれた。

 

 祖父は、亡くなるまえから口癖のように、

ピアノはだれにも譲らないでほしい、

と言っていたので、

それっくらいのことおやすいごよう、と簡単にこたえていたけれど、

あとでわかったのだが、

このヤマハのCFシリーズは、コンサートグランドピアノと呼ばれれる名器で

絶対音感だけをたよりに、

耳コピーだけで楽譜は読めないピアノ弾きだった祖父なのに、

タニマチのような熱心なファンが日本各地にいて、

そのひとりからプレゼントされたものだった。

 

 10年前。

祖父は73歳で亡くなる一か月前から、持病の心臓の具合が悪いというので、

アルバイト程度に手伝っていたわたしに店の業務を任せると、

死を覚悟していたのか、

公証役場に出向いて遺言書をつくったり、身の回りのものを処分したりして

言いかたはおかしいのだけど、生き生きと過ごしたのち、亡くなった。

 ある日の早朝、

どうにも胸がおかしいが救急車を呼ぶと、

以前手術したかかりつけの病院に運んでもらえないから、

申し訳ないが車で連れていってくれないか、と祖父から電話があったので、

慌てて車を出し、部屋(今わたしが暮らしているこのビルの2階だ)に

祖父を迎えに行き、病院の緊急病棟に送り届けたのが生きている祖父との最後だった。

だから、祖父のピアノへの思い入れがどのようなものであったのかわからない。

プレゼントしていただいたのは男性か女性か。

どんな間柄だったのか。

そんなことも聞いていない。

口下手な祖父で口下手な孫なんてそんなものだ。

 ジャズも珈琲もお酒もピアノも、仕事だから学ぶしかなかっただけで、

そうでなければ、立ち入らなかった世界だった。

今ここで、グラスを磨いたり、ピアノ演奏のアルバイトのスケジュールを

パソコンに入力していると、ふと自分がどこにいるのかだれなのか、

わからなくなることがある。

 こんなふうに、

意志とは関係ないことのほうが、あらゆるものは

正確に繋がってゆくのかもしれない。

 

 その繋がりのなかで、ピアノマンと出会い恋をするのも、

祖父が仕掛けたのではないとしても、

結果的に仕掛けたとおもわざる得ない経緯を経ていたように、

人の生とはバランスよく役割を担っているらしい。

 まるでピアノの箱みたいなこの店で、今日も年齢や性や職種や

なにもかもちがうひとが集まり、ピアノに遠慮するように座り、

音楽を聴くのも、たぶん決められていたように。

 

 さて。

たとえばあなたは、他になにが知りたい?

足りないことがらは、どうぞあなたの想像で満たして。

あなたの想像が、唯一の真実なのだから。

 

  蜆汁椀に口紅朝帰り

     漕戸 もり