古くからある芸能には、代々続く家系が存在する。

たとえば歌舞伎の世界の場合、襲名というのがあって

名まえといういれものを、中身である人を替えながら継承していくことで

伝統(屋号)を守りつづけている。

芸能とはすこし外れるかもしれないけれど、おおきく芸術の枠をひろげれば

陶芸も、唐津焼の中里家や清水焼の清水家など、血の繋がりはないにしろ

名を継ぎながら技法を伝えている。

 代々伝えられている特徴は、鑑賞する側(お茶やお花なら習得する側)に、

贔屓の伝統(屋号)を生みやすい。

歌舞伎だったら市川家を名乗る成田屋推しとか、

お作法が好みなので茶道は裏千家のお稽古に通っている、というものまで、

そのおかげで、文化は大衆と共に後世に伝えられているという側面も持っている。

 

 短歌の世界の大家といえば、佐佐木家だ。

幸綱氏が旭日中緩章を受章されたので、改めて佐佐木家の歌人ルーツを調べてみた。

 

 幸綱氏の曾祖父・弘綱氏→祖父・信綱氏→父・治綱氏→本人・幸綱氏→

 長男・頼綱氏→次男・定綱氏・・・

 

 名家感あふれてます目

 

 綱!!

 

 歌を詠みつづけてゆく宿命って、どんな感覚なんでしょうキョロキョロ

少子化の現代でもあるし、個人を尊重する傾向のなかにあって、

佐佐木家に子孫が不在な時代がおとずれたとしても、

他の伝統芸能のように、

佐佐木○綱 という名は血とは無縁のだれかが受け継いでてゆくのだろうか。

 

というか、なんとなく絶やしたらあかんという気になるから不思議ウシシ

 

 

  いつもより陽気な声をだすときはぼくはなんだかさみしくなる 

             佐佐木定綱「月を食う」より

 

 

 次男さん赤ちゃんぴえんの歌。

敷居が高い佐佐木家のご子息ですが、少年がそのままおとなになったような

まっすぐな歌は、つい佐佐木家のおぼっちゃんということを忘れてしまう花

 名家は、その家のひとびとが残したいとおもっても廃れてゆくものがあるけれど、

こういう歌を読んだときつくづく残したいとおもう。

 大衆のがわにどれだけ寄り添えるかということなのだろう。

 

 、と大衆のひとりとしておもう次第でございますねー