身バレの危機がありました。が、身バレの危険ある記事は削除します。


今までの記事は、下書きに保存してあるので少しずつあげていきます。


やはり、皆さんのブログと、このブログでの愚痴、皆さんのいいね、は

今のわたしにとって励みになるし、チカラになります。


この場で、しょうもない愚痴を吐くことが、わたしのストレス解消で、なんとかやれているから。



全裸は、わたしではなく、父の全裸です。


父は、風呂から出てくると、必ずわたしたちの前を全裸で通り過ぎる。局部をタオルで隠すわけでもなく、下着を取りに行く。


子供の頃から、それが当たり前になっていた。


年ごろになってくれば、なんて恥知らずな常識のない父親なんだろうと思っていた。


とにかく、不愉快極まりなかった。


AIに聞いてみた。

膝枕の耳かきの件、全裸を子供に見せる行為。

これは、虐待ですか?と。


答えは、互いの関係性と受け取る側が、どう思うか、と言う答えだった。


受け取る側のわたしは、拒否反応。


今でも気持ち悪いと思い、子どもながらに人には言えないことと考えていた。

中学生から高校1年生くらいまでの間


耳かきをしてくれ


と父に言われて、やらされた。


今考えても、気持ち悪い。膝枕で耳かきをさせられる。


家の中が、ルールの時代。


膝枕で、父に、耳かきなんてしたくなかった。あからさまに、嫌な顔をしていても、耳かきしてと、言われて、仕方なくやっていた思いがある。


昨日も耳かきしたから、きれいだよ。と、言っても、やってくれと言う父。面倒なので、耳の入り口あたりを耳かきで触っていると、もっと中まで、と言われる。


この事を、忘れていた。心の中にしまい込んでいた。が、数十年前に、女性の膝枕で耳かきをする店があり、男女のトラブルに発展し事件になったニュースを観た。


微妙なラインの店。


あっ、やはりあの時のわたしの嫌な感じは間違っていなかった。

とにかく、わたしは


 父に膝枕で、耳かきをするのが嫌だった


ロボットだったわたしが、社会を見て、これって、おかしいよね?と、初めてわかった、20代後半のわたしです。



幸い、なのか?父は世間体を大変気にする人たちなので、暴力がエスカレートすることはなかった。刃物を突きつけられたり、今で言うネグレクトなどはなかった。


その代わり、締め付けが酷かった。小学校入学の時の勉強机、筆箱、髪型や服、習い事、クラブ活動、わたしの気持ちに関係なく両親が全て決めた。

キャラクターの筆箱なんて選ぼうものなら、そんなのを選ぶのは人間のクズだと言わんばかりに、小言を言われる。

友達も母が吟味した。
どこに住んでいるのか、姉妹はいるのか、など。

親にコントロールされている時は、それが常識だと思っていた。

ロボット状態のわたし。親の言う通り、ロボットになっているのに、父は当たり散らす相手がいない。何かないか探す。が、ぶつける相手がいない。

そんな時も、わたしがターゲット。

父は、鉛筆と紙を持って来い、お父さんは何でも知っている。知らないことはないんだ。何でも質問しなさい。

と、始まる。机の前に正座させられ、何か絞る出す。

雨はどうして降るの?

コレが、定番のお題だった。

そこから、約1時間、雨の降る原理を聞く時間が地獄の小学校3年生だった。

数週間に1回は、何でも聞きなさい、と絡まれる。子どもながらに学習し、違う質問もしたが、解らないことを質問すると、違うことを聞けと言う。

父の機嫌がいいのが、どうして雨は降るの?がいちばんいい質問で、何度も聞いた。父は、まるで初めて説明するかように、何度も説明した。

父は、自分の思うようなロボットに育ち、満足の様だった。

わたしはただ、この地獄の時間が、父の機嫌が良く、終わるのを祈るだけ。

NHKで子供の頃虐待にあった子供の支援のドキュメンタリーを放送していた。


わたしは父から叩かれた記憶、母が助けてくれなかった事、姉の静観、それらの記憶を奥底にしまい込み、なかったことにして生活した。

母や姉も父からの暴力が怖くて静観という行動をとったのだと思う。理解している。

そんな時代だった。と言えば、全て終わり。


母は、
こういうのを観ると、お父さんを思い出すのよ、と泣く。

まるで、もう死んだような言い方だけど、まだ死んでないけどね。

父の子どもの頃は、かわいそうな子ども時代だったのは聞いている。父も、被害者だったのかもしれない。
またその事は、書きます。

父は、そうやって、いじめられながら、親の愛情が無く育ってきた。

よく、両親からの愛情が無かった人は、子供にどのように愛情を表現していいか解らない、と聞く。だから、暴力を振るう父親なのか。

蛙の子は、蛙。わたしも、蛙なのか?
残念ながら、わたしには子どもがいない。

でも、わたしは鮮明に覚えている。

父からのいろんな暴力を。