身バレの危機がありました。が、身バレの危険ある記事は削除します。


今までの記事は、下書きに保存してあるので少しずつあげていきます。


やはり、皆さんのブログと、このブログでの愚痴、皆さんのいいね、は

今のわたしにとって励みになるし、チカラになります。


この場で、しょうもない愚痴を吐くことが、わたしのストレス解消で、なんとかやれているから。



中学生から高校1年生くらいまでの間


耳かきをしてくれ


と父に言われて、やらされた。


今考えても、気持ち悪い。膝枕で耳かきをさせられる。


家の中が、ルールの時代。


膝枕で、父に、耳かきなんてしたくなかった。あからさまに、嫌な顔をしていても、耳かきしてと、言われて、仕方なくやっていた思いがある。


昨日も耳かきしたから、きれいだよ。と、言っても、やってくれと言う父。面倒なので、耳の入り口あたりを耳かきで触っていると、もっと中まで、と言われる。


この事を、忘れていた。心の中にしまい込んでいた。が、数十年前に、女性の膝枕で耳かきをする店があり、男女のトラブルに発展し事件になったニュースを観た。


微妙なラインの店。


あっ、やはりあの時のわたしの嫌な感じは間違っていなかった。

とにかく、わたしは


 父に膝枕で、耳かきをするのが嫌だった


ロボットだったわたしが、社会を見て、これって、おかしいよね?と、初めてわかった、20代後半のわたしです。



NHKで子供の頃虐待にあった子供の支援のドキュメンタリーを放送していた。


わたしは父から叩かれた記憶、母が助けてくれなかった事、姉の静観、それらの記憶を奥底にしまい込み、なかったことにして生活した。

母や姉も父からの暴力が怖くて静観という行動をとったのだと思う。理解している。

そんな時代だった。と言えば、全て終わり。


母は、
こういうのを観ると、お父さんを思い出すのよ、と泣く。

まるで、もう死んだような言い方だけど、まだ死んでないけどね。

父の子どもの頃は、かわいそうな子ども時代だったのは聞いている。父も、被害者だったのかもしれない。
またその事は、書きます。

父は、そうやって、いじめられながら、親の愛情が無く育ってきた。

よく、両親からの愛情が無かった人は、子供にどのように愛情を表現していいか解らない、と聞く。だから、暴力を振るう父親なのか。

蛙の子は、蛙。わたしも、蛙なのか?
残念ながら、わたしには子どもがいない。

でも、わたしは鮮明に覚えている。

父からのいろんな暴力を。

わたしが、小学校2年生の頃。

父が会社から帰宅して、チョコレート1箱だけ持って帰ってきた。

今でも覚えている。箱に入ったチョコレート。

父は姉に渡した。妹のわたしは欲しがり、姉妹喧嘩が始まり、わたしが泣き出す。


父が「帰ってきて早々、泣くんじゃない!」と、わたしのほっぺたをピンタした。

鮮明に覚えている。


『だって1つしかないし、お姉ちゃんが取ったんだ。帰ってきて早々って、お父さんは自分の気分次第で、わたしを叩くのか?』という気持ちを覚えている。

まぁ、当時のわたしはここまで言葉にはならない複雑な気持だったのですが、コレがあの時の気持ちです。

叩かれて、びっくりして泣き止んだが、声を殺しながら、ただ、泣いた。


家族の底辺にいたわたし。


父のはけ口になっていたと思う。家族の中でいちばんトロイ末っ子。


その時、母からの助けも姉からの言葉もなかった。ただ、声を殺して泣いた記憶だけ。

父は、とにかく、気に入らないことがあれば、怒鳴り、手を挙げた。母、姉、わたし。全てが標的だった。

姉が幼稚園の頃、園に行きたくないと言い、トイレに立てこもった。

父が幼稚園にに行かないなんて許さない!出てこい!

と叫びながら、トイレのドアをパンチしたり、蹴破っていた。我が家のトイレは、しばらくドアに穴があいていた。

姉が幼稚園なので4〜5歳、わたしが3〜4歳くらい。わたしの人間としての、いちばん古い記憶がコレだ。朝、父がトイレのドアを蹴破る。母にどうしたの?と、聞いた記憶がある。

その時のわたしは、自分の事ではないので、傍観していた。と、思う。助けよう、とか、思わないし、ただ、怖いので関わりたくないのが、その時の気持だ。
年齢が年齢です、許してね、姉よ。