繰り返してるようで。皺。 | 独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

流行りの珈琲に左右されない味を貫く珈琲焙煎士

僕はただひたすらに「おいしい」を届けたいだけ。
自分を磨き続け、澄んだ世界で創る最高の一杯を。

ルーティーンの毎日に対して、例えば社会人になってすぐの頃「あと何十年もこの会社に居るのか?この毎日を続けるのか?」と考え込んで酷く落ち込んでいた時期がありました。

 

それは会社への不満とか愚痴文句という意味合いではなく、内勤メインの仕事でパソコンに向き合い続ける自分が、そのまま30代・40代と歳をとっていくことがイメージできない不安感だったのだろうと思います。

 

なんとなくその時、ゆーて22、3の若造ながらその職場がいかに面白いことを含んでいようと「無いわ」と勘づいてしまったんでしょう。結局3年近く会社員をしていましたが、後半1年間はしっかりと、抑うつ状態からの、ガチ鬱からの、パニック発作多発からの、ベッドから出れずにそのまま退職へと大変スムーズに自分の心身は移行していくハメになりました。苦笑

 

決してその職場自体に明らかな否があるとも思っていないし、今の自分の社会人たる根底を築いてくれたその時期と前職の会社にはとても感謝をしています。シンプルに自分の「したいこと」との不一致や、湧き出した違和感に自分がアジャストしきれなかったんでしょう。その辺はまだまだ自分の未熟さもあったわけです。

 

 

で、いま2024年7月下旬。

 

朝カブに跨って、さあ今日も仕事いくかーと店に向かうときもやっぱりこれまで開業から11年間と少しの間ずーっとルーティーンとしての通勤という行為を続けています。

 

当時との大きな違いは、家を出るときの基本的なモチベーションが底上げされているということと「今日仕事行きたくないなー」が11年間まったく無いということです。どれだけ店の経営がうまく回っていなかった時でさえも「今日もがんばろう」と前向きにカブに跨り続けてきています。

 

店での仕事も同じで、していること自体は11年ほぼほぼ変わっていないし、同じように焙煎機の前でコーヒーをつくるという行為を繰り返しています。でもそのモチベーションが下がるようなことは一度もありません。適職かどうかはわかりませんが、少なくともいまの自分にとっての不満な面が焙煎士という仕事には見当たらない。それが断言できることを大切にしようといつも思っています。

 

最近はお客さんとの関係も益々良くなっていっているなという実感が強くて、それは自分とお客さんのお互いに、です。「嫌な気分・感情が生まれることが限りなくゼロに近くなってきた。」わけです。一度だけ来て好き放題噂するひとも色んなSNSやレビューサイトを覗いてると居られるんだなとは思いますが、もうそれはそれでいいじゃないですか。お客さんのこと悪く言いたいとは全く思わないし、どんなきっかけでも「来て下さったこと」はありがとうございますで纏めちゃっていいと。笑

 

店をしている側としての「言いたい事」も絶対にゼロとは言い切れないけど、それをゼロに近づけることはいっくらでもできるし、そういう方法を続けていけばいずれは店の中の空気にせよ、出会うひと・お仕事にせよ、互いに不満不安を孕まない、クリアなものの割合が増えていくのは今までの自分が経験してきたことからも絶対そうだよなと思っています。極端ですけど、楽しんで取り組めている仕事しか無いです。今は特に。

 

「お客さんにあんなこと言われた!」とか「あそこのコーヒーは嫌いだ」とか「自分のなんかまだまだですよ」と言い続けている店主が提供するコーヒーを心から美味しいと思えるのか?みたいな話で、発している・発していく店主の言葉やエネルギーが結果的にその提供物に映ってしまう面があるんです。

 

だったら、ポジティブな心意気をオモテに出してるひとから買いたいと思うし、そういうお客さんがお店や自分の周りに増えていくイメージを増していく方がなにかと毎日の仕事も楽しく感じるようになります。少なくとも僕ならば、自信を持って、でも謙虚で驕りをもたず、感謝を忘れずに物事を売られてる方に凄く魅力を感じるし、興味がわきます。

 

じゃあ自分は文句ひとつ言わずに何でもするのかと言われたら「しません」けど笑。そういう状況に陥らないように身の周りをどう整えていくのか、あるいは、たとえ自分が正当なことを言っている争いの場でも、感情の出し方を見誤らないことかなぁと思います。それこそSNSって結構センシティブな場なので簡単に相手も特定できてしまうし、自分も自分のことをアレコレと言われたり書かれたりした時に「あのひとかー」とほぼ全てわかってしまいます。

 

だったらそんなひとがまたお店に来て下さる可能性なんて限りなくゼロに近いですよね。自分が悪口言えば叩かれる可能性があるのに、相手は何を自分にふっかけてきたって店に来なきゃ、僕に会わなきゃ何のお咎めが生じる可能性すらない。全然イコールコンディションで戦えない。だから、それはそれ!でいいやって。程よく受け流して「ご来店ありがとうございました。」で済ませて、感謝をお空に還しましょう、それでいいじゃんっていう。甘いですか。そうですか。笑

 

この若干「もう程よく、どうでもよくなっている感じ(笑)。」が結構商売を長く楽しく続けるにおける「良い塩梅」だったりすることも多々あるんです。一喜一憂して疲れてるそのエネルギーが時にもったいなく感じたりもします。

 

穏やかな毎日の中で、自分にとっての「楽しいな」と思える人付き合いやお仕事の割合を増やそうと努力するとか、追究していくとかを頭の大部分に据えておける方が、ポジティブな感情が増えていきます。適当に今日という24時間を生きてりゃいいやという思考も減っていきます。

 

なんだろう、とにかく「全力で生きてんなあ!」って感じる時とか、例えば病気して寝込んでるときなんかに「命を削ってる感覚」とか「苦しんでる=生きてる!」って感じるアレと似たようなもので、その日のその時間、その瞬間に真剣に向き合えば向き合うほど「今の自分」に焦点を合わせていけるようになり、雑念も減るのなかぁって。

 

だからか知りませんけど、その「もはや何事に対してもどうでもよくなってきた(笑)」という感覚が今の自分にやたらしっくりきているし、決してそれは投げやりに言っているわけじゃなくて、いちいち人間関係に分け隔てを作ったり、よそのこと悪く言ったり、一喜一憂したりすることが無くなってきているという、ポジティブな捉え方ができていると捉えています。

 

その方が生活の中での好きとか楽しいに集中できる・費やせるエネルギーの絶対量が増すし、あらゆる違和感に対しての適切な距離を保つ術をサッと頭と身体でできるしで。「過不足のない状態」とかニュートラルな今という感じ。それが、疲れないんですよね結果的に。

 

そういう自分がまた何を見たり、捉えたりするにしたって、リセットボタンを押されてすぐ!のようなマインドでもって捉えられるようになっているから心がブレないです。相手との比較をいちいちすることも減って、顔色伺ってビクビクするでもなく、自分に素直に生きれるようになってきてるのかなぁって今更ですけど40になって思っています。いや、思えるようになってきつつあると。

 

さっきお客さんが~とか仕事が~って書いたのにしても、確かにお客さんもお仕事もどんどん「良いひと・もの・こと」が増えてきているのは事実だけど、それは同時に自分のそういう全てへの見方だったり捉え方、要は自分も変わったから、そうなってきている、とも言えるんでしょうかね。。

 

さあまた週明け、今週もしっかり働いてしっかり遊んで、まだまだ自分の中でくすぶり続けていることが沢山あるし、まだまだチャレンジしたいけど足踏みしてしまっていることだって沢山あるし、その伸びしろを一歩一歩埋めていけるような毎日にしていきます。

 

わざわざ自分の将来に蓋をしないように。可能性を諦めないように。

 

挑戦して、その結果、後悔は、しないですよ。

 

しらんけど。