クラス別リレーは中高6年間アンカーでした。 | 独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

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流行りの珈琲に左右されない味を貫く珈琲焙煎士

僕はただひたすらに「おいしい」を届けたいだけ。
自分を磨き続け、澄んだ世界で創る最高の一杯を。

隣の店の軒先に巣を作っていたツバメの雛も続々と巣立っていき、最後の一羽が巣立つ直前に東京へ出張に出たようで、一体どうなっているだろうかと不安ではあったものの要らぬ心配だったらしい。

 

 

今朝の店前にある電線には、もう飛び方も小慣れてきたであろう巣立った雛鳥と、少し大きな親鳥たち(らしき集団)を日中ずっと見掛けるように。しばらくは近くに居るのだろう。

 

時折「実家」の近くを飛び回り、あの雛のうちの一羽なんだろうなぁと、自分もなんとなーく感慨深い感じで。親戚の子供を見ている叔父みたいな感覚なのかもと。(笑)

 

 

店を今日もあける前に少しだけギター練習。

 

 

貰い物のギターだけど、音は結構いいし鳴りも好みな音してて、いつかこれでまた人前で歌うような機会作れたら面白いだろうなと、ぼんやり将来のことを妄想する。楽器を趣味にするとか、歌を唄う事が好きであることはとても人生を豊かにしていく上でポジティブに働く要素だと思っている。ダンスとか劇もそうだろうし、エンターテイナー的な遊びや人との関わり方を趣味として楽しんでいるひとは日常的にも笑顔があまり絶えないイメージがある。

 

事実社会人になるまでの自分は本当にその趣味たちの楽しい恩恵を存分に味わわせてもらった。音楽がなかったら今こうして生きてるかすら怪しいほどに。

 

だから、常々言うように、バイクが自分の店とか、自分という人間を支えてくれている・支えてくれていたことに対して「俺はバイクに還せることなんでも還したいです。」と思うのと同じで、音楽についても人生というか・・血肉となって今のコーヒー屋としての自分に大きく意味を纏わせてくれたものとして、音楽に還していくことは将来的に必ずすべきことだと思っている。

 

自分で完結してしまわないこと。 繋ぐこと。

 

それをしようとしない人生では、誰とも「続き」を楽しむことができない。今が楽しいは当たり前で、今に満足できていることをちゃんと受け止めて受け入れて、その上で「じゃあもっと面白くしよう」「自分だけのものにせずにいよう」が具体化していける気持ちを忘れずに。

 

来年の今頃、ツバメは巣の再利用をする生き物だから、おそらく来年も色んなタイミングが合えばここで雛鳥を眺めることができるだろう。命のバトンを繋ぐ姿を今年この店をはじめてから最初に「おとなりさん」レベルの距離感で感じることができて、この1カ月半~2カ月ぐらいだろうか、とても心が温かくなる体験をさせてもらった。

 

今こうして働けているのは、誰から繋いで頂いたバトンのお陰様なのか。自分ひとりの力でやってきたわけではない。

 

だから「繋ぐ」は責任として発生させていたい。背負いたい。当たり前に感謝する以上に 当たり前を作った人物事すべてに感謝して。

 

 

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学生時代、足だけは速かったのでいつもリレーはアンカーを任されました。

 

中学・高校・大学時代はバンドもずっと続けていたこともあって

 

「体育祭と文化祭」というごく限られた2日間だけは、その瞬間だけは、

 

所謂「黄色い声援」を浴びることができる貴重な機会でした。笑

 

 

「また歌、やるわ。」と言ったら 誰が観に来てくれるんだろう。

 

バイクのレースとはまた違って 面白いだろうな。

 

一応当時のバンドのギターの後輩には声かけました。

 

さて、どうしようか。なにしようか。。