6月に入った | 独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

流行りの珈琲に左右されない味を貫く珈琲焙煎士

僕はただひたすらに「おいしい」を届けたいだけ。
自分を磨き続け、澄んだ世界で創る最高の一杯を。

今日から6月。

 

31日は去年お仕事でお世話になったアーティストさんのライブを観に行った。

 

BIGCATは学生時代かそのもう少し後ぐらいかまではたまに行って

 

それこそモッシュやダイバーの嵐に揉まれた記憶しかない。笑

 

 

今日ははじめての所謂「ゲスト席」で拝聴させて頂いた。

 

こういう経験はあまりない。でも本当に有難いことだと思う。

 

もちろんアーティストさんという演者をメインに見ているわけだけど

 

お客さんの皆が、ナニに対して、どういう反応をしていて、動きをしていて。。

 

ついつい見る目がなにかしら「突き止めよう目線」になる自分。職業病かも。

 

 

盛り上がっている瞬間の 空気を科学したくなるのは昔っからで

 

バンドマン時代もやっぱり 自分の演奏で大事にすべきは世界を魅せることだったり

 

それへどういう反応をしてくれるのかとか、その感動こそ自分の感動だという

 

どこをメインにしてるのかわからないようなライブをしていたのを覚えている。

 

ライブの中でその1時間とか90分の「台本的な流れ」を考えて組み立てていく作業の方が

 

実はライブ本番と同じぐらい楽しかったりする。(多分これもバンドマンあるある?)

 

 

ここでドカーンと盛り上げたい ここはちょっと落とし気味にしたい

 

いったんここでお客さんを座らせたい ここは暴れまくってほしい

 

MCの台本もいつも自分で考えて、唄ってる時間と同じぐらい喋っていた。

 

自分はどっちかっつーと歌より喋りがメインのライブをしてたから笑、、

 

なんか、メッセージとか世界観をどんなアーティストさんにも求めがちかもしれない。

 

 

今日も観ていて感じたのはそのひとの世界とか領域の存在だったり

 

「やっぱこれはこの人じゃなきゃ絶対作れないユニークなんだな」 と

 

それも結局 自分だったら(コーヒーだったら)こうだよな とか

 

置き換えて自分のものづくりと比較検証の材料へと流してしまうわけで。笑

 

 

コーヒーと、音楽ライブなんて一見何の関連性もないかもしれないけど

 

自分が誰かの音楽を聴くとき、必ずほど自分の仕事と比べてみるようにしている。

 

 

共通するのはシンプルに「楽しいを作っている」とか「笑顔」「遣り甲斐」「貢献(役目)」とか、

 

そこで終わらせることをしているのではなく そこからはじまることをしているという

 

ある意味同じような 0→1 なんだろうなということ。

 

 

レストランでもカフェでも物つくってる人でも芸術家でもサービス業でも

 

なにかしら完結させれるようで、完結させずに続く物事をその場で発生させることは可能だし

 

むしろそれがあるからどんな商売にだってファンやリピーターが生まれるようにすら思う。

 

サステナブルって、あらゆる世界で作れるものだから。

 

 

 

なんだかこの前に立ってるだけで いつかの自分に戻れるような感覚になって。

 

お相手頂いたスタッフの皆さんいつも、今回も本当にありがとうございました。

 

 

 

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音楽なさってる方にせよ自分にせよ同じようなことかもしれないけど

 

あくまで自分のしたい事、或いはしてあげたい事がベースとしてあって

 

じゃあそれをどう実践にまで持っていくのかとか、何を使うのかとか

 

その手段を考えて目的へ近づこうとしたり

 

逆に目的から逆算してひとつひとつの目標を設定したり色々なやり方がある。

 

 

色んなひとの自己実現や目的への到達方法を見聞きする機会が増えてきて

 

もちろんみんな違うし、みんなわちゃわちゃとひとりで騒ぐ人(笑)が多いから楽しいけど

 

明らかに目的意識を持っているかどうかの重要性についてだけは

 

まだ自分の中で疑念が多い。 多いというか、そもそもの目的意識を

 

どこまで明確に持ったうえで生きることを良しとするのか・自分が納得するのか とか

 

そういう思考軸もあるにはあるにせよ ふと「で、どうしたいの?」と聞かれたときに

 

明確な答えが自分の今には存在していない という事実にいつも突き当たる。

 

 

これが、良い事なのか、悪い事なのかはわからない。

 

その 目的意識 の必要性をそこまで感じていないのかもしれないし

 

積み重ねていく中で生まれてこればそれでいいとしているのかもしれない。

 

 

とにかく「ここを目指す」と言い切ってしまうほどの自分には

 

まだまだ成れていないという未熟さをつい感じるというか。

 

こういう自分ダメだなぁ!と自責するわけでもないんだけれど。

 

ただ「目的」は、最終的に高みを目指し続けた結果、いつか自分が死ぬ時点で

 

「あぁこれが自分の目的だったのかもな」ぐらいに思えたらいいやって。安直すぎ?(笑)

 

でも、本当にそういう感覚で今まで生きてきている。 それは、甘い、んだろうか。

 

甘いのかもしれないし、それも自分だと受け入れておけばいいのかもしれないし。

 

或いは自分プラス誰かが居て気付くことかもしれない。そのあたりはまだわからない。

 

 

自分の未熟さ加減に少しだけ憤りも感じるけれど

 

今こうなんだから 何か感情をわざわざ手放してまで

 

成長しなきゃ 目的を作らなきゃ はしたいと思わない。

 

 

生き急げるひとはむしろした方が面白いに早く近付けることも知ってるつもり。

 

あくまで「比較」は卑下をうむことぐらいは、自分のこと理解できているからだ。

 

 

たまにアドバイスひとつに傷付いてしまうこともあるけれど ようやく最近になって

 

「その部分の意見は取り入れよう」 と、感謝に変換できるようになってきた。今更ながらだが。

 

 

コトバを与えてくれる・意見を与えてくれる存在は多いにこしたことはない。

 

自分が少々しんどくなろうと、その場で昇華させれるぐらい話し合えばいいだけなのだから。

 

逃げることだけはせず。 信頼できるひとの口は嘘を吐かないことも知ってる。

 

だから自分も時にひとにキツいだろうことを話すときもあるし 

 

しっかり議論の場は逃げずに作ろうとする。 建設的なハナシは何時間でもしたらいい。

 

できる相手だとお互いが自然に感じ取り合えるのであらば尚更だ。

 

そうでなければ。。。 無関心 ぐらいの距離感を適度にとるが吉・・・かも。経験上。苦笑

 

 

一気に5月が仕事まみれになってしまっていたけれど

 

6月は少しだけ落ち着いた日常が戻りそう、な、気配だけはする。笑
 

でも今度は次の仕込みがまたいくつか始まって。。

 

そうこうしてるうちに「もう師走か。。」となるんだろうけど。

 

でもなんか、それぐらい充実できてたら、ある意味幸せかもしれない。

 

 

自分はきっと多くの人よりも人生例えば100年生きていたとして

 

死ぬ時になって思い返せる人生の体感時間や経験したことの数は

 

多い方になるだろうという予想どころか、確信すら持っているし

 

間違いなく「まあおもろい人生だったな」と言える自信がある。

 

そこに近付けるような毎日を送っている自信もある。

 

ある意味、それこそ 目的 かもしれないけれど。 しらんけど。

 

 

目の前に転がってるおもろそうな何か。

 

それができるかどうかで見たときにもし

 

「できるんじゃないか」と思うことだったら

 

やらないよりは、やって後悔したい。

 

 

前記事にも書いた通りに

 

会いたいひとには会いにいこうとする。

 

その体験をその時にしなければ意味がないから。

 

見たいのは、体験したいのは「その先」でもある。

 

 

大きなスケールの目標はそこまで具体化していないのは

 

さっきも書いたように「目的」が明確にないことからも言えるけど

 

自分のスタイルを考えて 今の自分を把握しきった中での

 

マキシマムな状態づくり、物事づくり、役に立てることを

 

選択して、できること、できるだけ、やり続けることがいまの第一優先事項だと思っている。

 

(なるべく自己満足だけで終わることがないように。。)

 

 

本当はスポ根的な「やるかやられるか」みたいな根性論も嫌いじゃないけど

 

そこにどこまで自分がいま耐えうるのかは正直、怪しい。まだ脆い部分があるから。

 

でも、やっぱり「やらないよりは、やれよ」と思う自分に対する叱りつけは定期的に起きるし

 

ひとを見ていても「できるのにやらないのはなんで?」とか「そこまででいいの?」みたいな

 

ついつい熱血教師みたく語り出してしまうときも、なくはない。(いい迷惑だろうがw)

 

 

結局自分がひとりで仕事を始め店をつくり、仮にも今月で11年続いてるのは

 

やっぱり、無茶してきたから、アホなことも失敗も経験して学んだからであって

 

それが全てきれいごとではないという事も当たり前に理解できているし

 

やったから、気合いで乗り切ったから、根性でなんとかしたから、があるもんだから。笑

 

 

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でも実はそれも気付かぬうちに誰かに押し付けてしまっているかもしれない。

 

どこまでが相手にとって需要できるギリギリなのかはなかなか難しい。

 

腹を割って話せる相手でさえ、気を遣うことは多々ある。自分も遣われていると思う。

 

簡単に傷付いてしまうし、すぐ苦しむ。言葉を反芻して夜中まで眠れないなど日常茶飯事。

 

でも、それが今の課題なら、むしろ自分が変われば、必ず好転することだと思っている。

 

だから受け入れてみるし その言葉を考えて 自分が変わることで見える変化を知りたい。

 

そういうストイックさだけは一応11年で培われてきているらしい。

 

 

もう自分の限界を超えたメンタルを壊す域までのことをしようとは思わないが

 

自分がいかに気持ち良く生きていくか、楽しめる生き方をしていけるかを考えて

 

その最善策と方法を見出しながら、その中でできる自分の役割とか珈琲の仕事とか

 

もっと上にある「目指すべき目的」を見付けるのが正順、かもしれない。自分の場合は、ね。

 

 

 

今夜もどんどん話題論点がズレ続けていく。

 

でもなんか、千本ノック自分でしてるみたいな気分で

 

この混沌とした感情の羅列が結構見返した時面白かったりもする。

 

ここまで読んでる 「あなた」 も凄いと思いますが。笑

 

ちょっと、お茶でもいきましょう。 この10倍はしゃべるから。笑 ←嫌やろなさすがに

 

 

ちゃうねんちゃうねん

 

なんか、もっとさ、あれがおいしかったとか

 

あそこ行きたい 行きましょう とか

 

そういうハナシしたい。普通のハナシ。笑

 

コーヒーのハナシとかあんまり書く意味もない気がしている。

 

特に自分のこういうブログの場合は。

 

(ここまで書いといてなんやねんな。)

 

 

おいしいコーヒーは、いつでも出します。

 

今週末もイレブンでお待ちしております。

 

(という定型文でしめる事にした。)

 

 

土日月 17時までの営業です。

 

9日がバイクレースで休むんですが 10日は正午からって書いてるけど

 

身体がバッキバキじゃなかったら朝からあけますので また別途お知らせいたします。

 

 

趣味も遊びも全力で! 仕事はもっと全力で!

 

自分の身の周りから、面白がってくれる人が増えたらいいなと。

 

ほんとに、そういうシンプルな生きてる理由なんだろうな。俺は。