教えるというのは、基本的には大人が子どもを教育するという事になります。
勿論、最近は生涯教育と言われて久しく、大人も色んな教養講座に通ったり、趣味も兼ねて勉強を続けている方も多いでしょうし、専門職に就くためや転職のために成人してから専門学校などで勉強する人も居られるでしょう。
その様な大人も含めて新しく何かを習得しようとする人達に対して、その何かを教える事になります。
それは、読み書き算盤という基本的な学習内容に始まり、各教科、科目に分かれて基礎知識や基本的教養、技能を身に付けさせることになしますし、最後は専門教育や研究を指導する事になります。それぞれの段階で学習者の発達段階、成長過程に合わせて学習内容は、変化して行きます。
そのように多岐に分かれた分野の知識や教養、技能を教える事になりますが、学校教育では履修要領なり基本的に伝達すべき教育内容は学生の発達段階も加味され、それぞれの科目で必須のものはほぼ決まっています。ですから、習得すべき履修内容に如何に到達させるかというその過程が問題となるでしょう。
ところで、子どもを成長・発達させようとする場合、まず第一に子どもがなぜ、何のために自らが成長・発達する必要があるのかという目的をしっかり自覚していることが望まれます。とは言え、近い将来仕事を持ち、社会の一員として社会的役割を担い、活動するためには、学習を通じて成長する必要があるというのは、いわば暗黙の前提で、この成長・発達の目的は、取り立てて意識されることは少ないかもしれません。
殆どの場合は、どのような職に就くのかという事が決まりさえすれば、それで良しとされ、その職に就くための専門課程を選択することになります。と言うよりもむしろ、そのような将来像が描けなくて多くの学生が苦悩することになるので、より早い時期に職業観が固まれば目標が定まり、学習への動機付けが確実になされる訳ですから、それ程望ましいことはありません。
自ら成長しようと思い立ち、主体的に学習に取り組む。自ら到達目標を掲げている訳ですから、これに勝る導きは無いでしょう。教育学者で哲学者のデューイが指摘するように、「純粋に外的な指導は不可能である」ことを考えればなおさらです。
学生時代がモラトリアムと考えられることも多い中、将来像を模索させつつ、一定の学習効果を上げていくことが困難多き所であります。