今書いてる原稿に役立つものがないかと。
目当てのものは見つからなかったが、「えっ?」というものが出てきた。
昭和30(1955)年の新聞切り抜きです。

こんなのがあったなんて。
ここから後を読んでくださる方で、拙著『触媒のうた』をお持ちの方は、23ページからの「剽窃」の項を開いてください。
芥川賞候補にもなったことがある、中野繁雄の詩集『象形文字』の盗作のことを書いてます。

『象形文字』の書影です。装丁は驚くなかれ、あの棟方志功です。
その事件についての切り抜き。
『触媒のうた』27ページ終りの所に《すでに神戸新聞記者だった宮崎翁、もちろん記事にしました。しかし、載らなかった。その事情は、読者が想像してください。》とわたし書きました。
ということで、なんで新聞切り抜きがあるのか不思議です。
「先生、ちゃんと記事にして掲載されているじゃありませんか。」と言いたいけれど、昨年お亡くなりになってしまって、それは叶わない。
ところがこの切り抜き、よく見ると上部欄外に「國」の一字があります。
「神戸新聞」の「神」ではない。
ということは「國際新聞」としか考えられません。
でも宮崎先生は、1951年に神戸新聞に入社しておられる。
ここからは推論。
この切り抜きがあることを、この件を話してくださった時には失念しておられたのか?
この國際新聞に載った記事はもともと神戸新聞に載せるつもりで書いた。しかし上司の判断で没にされた。
この上司の判断ですが、このころ宮崎先生はまだ若輩記者。しかし中野は芥川賞候補作家。神戸新聞社としては、中野への忖度があったのでしょう。あるいは、その上司は中野と親しかったか。
そこで、先生は以前おられた國際新聞に持ち込み、記事になった。
それしか考えられない。
そのこと、なぜわたしにお話にならなかったのだろうか?「こんな切り抜きがあります」と言って。
多分ご自分も、この切り抜きのことは失念されてたのでしょうね。
記事の最後に、中野繁雄の話として「三百部の限定本として出版したが『指と天然』というような歌集があったことも知らない」と、よくもまあ、ぬけしゃあしゃあと。
宮崎先生、悔しかったでしょうねえ。
『完本・コーヒーカップの耳』