小さな冊子『本と本屋とわたしの話』15号です。

ページ数も二十数ページと読みやすいです。
4人が短いエッセイを書いておられて、1人が見開きに15コマの漫画を載せておられます。
全てわたしにとっては未知の人。
最初の「記憶の中で」は大阿久佳乃という人。
初々しい書きぶり。視点が新鮮。薄いオブラートの上に載せたような文章。
次は戸田勝久という人の「消えた古書店2 ―神戸 宇仁菅書店」
「あった」「させた」「あった」「していた」「いた」とセンテンスの終わりがほとんど「た」で終る乾いた文章だ。ところが書かれている内容は
ちょっと湿っぽいんですよね。
さっき、未知の人ばかりと書いたが、戸田勝久さんのお名前だけは存じ上げている。というより、つい一昨日、話題になったばかり。
神戸元町へいったついでに寄った古書店「花森書林」さんの店先にかかっていた短冊がこの戸田さんの揮毫だった。
次の浜田裕子さんの漫画「モジカでほっこり」はオチにほっこりさせられます。こんなページがあるとホッとしますね。
次、藤井基二さんの「高原さんのこと」。
《店を始めるまでは、古本屋はお客さんとほとんど喋らない商売だと思っていた。》と始まる。
お店を始められたんですね。その古本屋さんの立場からの文章。
わたしも古本屋さんに行くとついおしゃべりしてしまう。店主さんがパソコンを触っておられたりしたら邪魔になるのがわかっていてつい。
わたしが自分の店(喫茶店)の座席でパソコンを触っているのとはわけが違う。古本屋さんは今やパソコンを外しては商売にならないのだから。パソコンを通しての売り上げが店を維持しているのだから。でも、喋ってしまうんです。ごめんなさい。
最後は豊岡恵子さんの「選ばなかった道」。
これはだれもが思うことではないだろうか。あの時、あっちの道を選んでいたら自分の人生は今頃どうなっていたのだろう?と。
美智子妃の有名な短歌、「かの時にわがとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ」と、エッセイの冒頭に置かれたフロストの詩「選ばなかった道」を重ね、母親との思い出をからませて、短いながらも読ませるエッセイでした。「私にも分かれ道はあったのでしょうか。自分で選んだ道などなく、選ばなかった道も選ばれた道に思えてきます。」は、つい自分にも置き換えて考えてしまいます。
小さな冊子でしたが、楽しい読み物でした。
こんな冊子で孫のkohと同人誌をやりたいのだがなあ。