の巻末エッセイを呉智英さんが書いておられる。そこにこんなくだりが。
≪本書は、河出書房新社版が出た二十一年も後、1995年になって朝日文庫に収録された。長く入手困難で、人に薦めても読めないと言われることが多かったので、この文庫化は嬉しかった。その上巻巻末に詩人の松永伍一の書評が再録されている。それは次のように始まる。
足立巻一氏の『やちまた』を読了するのに丁度半月かかった。
その間、本らしい本を他に一切読まなかった。(略)
私より十六歳も年長の詩人も、やはり私と同じように『やちまた』を没頭して読んでいたのだと思うと、何か私自身が評価されているような誇りさえ覚えた。(略)松永伍一の著作は、その七年前、まだ学生時代に読み、感銘を受けていた。1967年刊行の『荘厳なる詩祭』(徳間書店)である。(略)「きみの書いている詩が生命とおなじ重さであるか、という発問からはじめる」と、その冒頭にある。サブタイトルが「死を賭けた青春の群像」である。若くして死んだ十人余りの詩人を論じた重い一冊であった。
しかし最終章だけはちがった。田舎に住む初老の農婦の話であった。この農婦、木村センは、詩人どころか、目に一丁字もなかった。ものの譬えではなく、全くの文盲であった。ひらがなさえ満足に読み書きできなかった。センは冬の凍った外便所で滑り、骨折して床についた。回復が思わしくなく、家族に迷惑をかけるのも心苦しく、センはある夜、柱の鈎金に麻縄を懸けて首を括った。
後には、たどたどしい遺書が残されていた。(略)木村センが内心で死を決意してから、病床の中で幼い孫から字を習ったという事実が劇しく胸を撃つ。センは遺書を書くために、そのためだけに、字を覚えたのである。
松永伍一が「死を賭けた青春の群像」である『荘厳なる詩祭』の巻末に、青春ならぬ老農婦のたどたどしい遺書を置いた意味は大きい。十数人の言葉に憑かれた青年たちの死、最後に言葉に賭けた老農婦の死。松永の言葉への烈しい思いが伝わってくる。松永が『やちまた』に魅せられたのも当然なのであった。≫
この呉智英さんの文章を読んでわたしは『荘厳なる詩祭』を入手した。

木村センさんの遺書をどうしても読みたかったのである。
