中川一政の詩 | 喫茶店の書斎から

喫茶店の書斎から

コーヒーカップの耳

ちょっと必要があって、中川一政の自伝を読んでいる。
中に、一政が25歳のころに書いた詩を紹介している。

  
  「自負」

われは石なり

道に落ちたる石也

人、手にとれば玉となり

人、手にとらざればただの石にすぎず

われは石になりゐてうれしかりけり

人のひろいて玉というまで


 そして、中川は、

―そういう詩をつくっていたのは感心である。そういう詩を作っていたのは幸せである。―

と書いている。
詩も気になるが、後年、「感心である」「幸せである」と書く中川の、その意味するところは何だろう?